Lunae die 11 mensis Maii 2026

ACROAMATA LATINA

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t. miura

Recitationes latinae



Recitation (Aenēis 2.656-670) and Slides_ユーノーは武勇と敬神の者を逃亡の負い目と神の無慈悲から夢枕の神命を疑わせ、全滅の神意を確信させて祖国との殉死へ追いやる

《和訳と訳注等》 ※2.659-661はアエネーアースに働きかけたユーノーの論であり、これに対抗するのが2.675-678のクレウーサに働きかけたウェヌスの論であろう。ユーノーの論の中核は「夢枕の神命は偽りだ」である。すなわち、「選ばれたお前による生き延びと祖国新生」は偽りであり、結果、「お前たちも死ぬのであり、トロイア人は全滅する」が真実の神意ということになる。  これは『イーリアス』第2巻13-15行のゼウスが送ったアガメムノーンへの、ネストルの姿を取った偽りの「夢」の神命を想起させる。ややもすると、2.634-720での父アンキーセース、当人アエネーアース、妻クレウーサ、そして至高神ユッピテルのあり様は「老醜の父、剛腕浅慮の武人、子供をだしに泣き叫ぶ妻、そして機械仕掛けの神」の印象を与えがちと思われる。  しかし、この場面の群像を卑俗にしない視点として「夢枕の神命は真か偽か」を持ち「夢枕の神命」をキーワードに『イーリアス』との対照性から明文化されていない背景を推測するならば、加えてウェルギリウスの作品主題も意識すると、作品主題につながる一貫性が浮かび上がるようだ。スライドP. 5-6/14参照。 〈和訳〉 【2.656 それというのも、(まさにあの母神の助けを必要としたとき、)いったいどんな助言や好運を授かっていたというのか?(ディードーよ、今振り返っても、見放されていたとしか思えない)】 【2.657 「(外ならぬあなたの子である)私が、父よ、あなたを置いて出て行ける(そんな不敬神な人間である)ことを】 【2.658 (本気で)望んだのですか?そんな不敬神な言葉が(あの敬神な)父の口から(本気で)こぼれ出たのでしょうか?】 ※2.657-670は2.651-655で述べた概要の詳述である。 (概要と詳述の対応:2.651-653→2.659-663、2.655→2.668-670。なお2.656は、詳述内容を語り出す前にそれを先に心中で振り返って吐露した、ディードーへの述懐の言葉) ※上記の訴求の後、アエネーアースは、己の父が神々により今夜ここでの死を宣告されたとの信念を変えず、一方、自身はピエタースに背いて父を置き去りにはできないがゆえに、実は、神々が父の言動を通して遠回しに、家族殉死の定めを皆に悟らせているのではと懸念し始めた。しかし心の底では、夢枕でヘクトルの告げた祖国新生の至高の神命を疑い切れていない。 【2.659 仮に、(そもそも夢枕の神命は偽りであり、逆に)天上の神々にとって、(トロイアが)かくも大いなる(神々の寵愛で栄えた)都であるがゆえに、(その神罰の滅亡には大いなる生贄が必要であり)それに由来する(至高の血筋も、名も、言葉も、服装も、しきたりも [12.823-5] )何一つ残らぬことがその本心に召すのだとして、】 【2.660 その上で、(眼前の)このような(拒絶をするあなたの)決意(の奥)にも、その懸念(真実の神意は何も残さぬことかもしれない)が抜きがたく(神々のこの無慈悲ゆえに)刺さっているのだと仮定して、さらには、(皆を)死にゆく祖国トロイアと運命を共にさせることは、】 【2.661 つまり、あなたのみならず、あなたの一族をもそうさせることは、あなたにとってもその一族にとっても、「喜ばしい」のだとするならば(なぜなら、神々が喜ぶゆえに、真実の神意に従うピエタースゆえに、祖国に殉ずるピエタースゆえに、偽りの神意を追い求める終わりなき無益な労苦からの解放ゆえに、そして死は恐れるものではないがゆえに)、そのような死への門は開いています(「真実」を裏付けるかのように)。】 【2.662 (向こうから、死神[タナトス]が)すぐにも現れるでしょう、プリアムスの流血の惨殺を為したばかりの(血染めの)ピュッルスが、】 【2.663 父親の眼前で子を、そして父親を祭壇(の神々の眼前)で惨殺したその者が。】 ※アエネーアースの心の声:そのとき、祭壇の神々はそれを見ながら止め立てしなかった。ならば、本当に神々は、ここでもそれを望んでいるのか?本当に至高神の祖国新生は偽りなのか? 【2.664 (この家を守り、家族を顧みなかった私を叱責した母よ、なぜ沈黙しているのですか。よもや)これに向けてだったのですか?慈悲深い母親よ。私を、武器の中、炎の中を突っ切って(戦場から)】 【2.665 引き剥がしたのは。つまり、奥の間の中央に(なだれ込んでくる)敵勢を見、さらには(多勢に無勢の中で守り切れず敵の手にかかった)、】 【2.666 アスカニウスを、私の父を、さらにはその隣にクレウーサを、】 【2.667 一方を他方の血の(海の)中に、(神々とトロイアへ)生贄に捧げられたその者たちを、(最後に私も討たれる前に)見るようにと?】 ※しかし、母神は応えない。アエネーアースはついに、「夢枕の神命」は偽りで、真の神意は全滅だと思うに至る。その「裏切り」にも彼のピエタースと武勇はくじけなかったものの、それらの発露は家族への愛に向かわず、祖国への愛と武勇の誉れに向かう。同じ皆死ぬのなら自分だけでも敵中へ突進し、最後の誉を上げて討ち死にしようと考えた。 【2.668 武器だ、者ども、武器を持ってくるのだ。(燃え尽きんとするトロイアの)最後の光が、敗れた者たちを呼び寄せている(敵に報いて我に殉ぜよと)。】 【2.669 私をギリシア勢へ戻せ。私がやり直しにまた出かけるのを許せ、】 【2.670 戦を。今日、皆が(どのように)死んでも必ずや(かくも大いなる都と至高神は、神意を受け入れ祖国に殉ずる我ら一族のピエタースに)復讐を果たしてくれるだろう。 <訳注> *2.656:2.656の主韻律SDSSDDは2.664のDDSSDSと「キアスムスの関係」にある。これは初めに内容の帰結を示して通常の順序を入れ替えた「起・結関係」と呼応する。 ・656_結:振り返っての総括「あの難局では母神は助けてくれなかった」 ・664_起:湧いてきた疑念を母神にぶつける「母よ、これ(家族全員の死を眼前にする未来)がゆえに私を助けたのか」  656の主韻律SDSSDDは第1巻序歌結句の1.33と同一であり、1.33の担うユーノーの怒りによる激しいが乗り越えるべき困難と趣旨を同一にすると思われる。すなわち、656の困難な局面はユーノーの攻撃によるものであろう。  同時に、664の主韻律DDSSDSはアエネーアースの物語の主題歌である第1巻序歌起句の1.1と同一である。これは664の嘆きが、アエネーアースを巡るウェヌスとユーノーの神威のぶつかり合いに翻弄されるアエネーアースの物語の典型的状況であることを好適に表している。 なお、2.656のSDSSDDが1.1(*1)ともキアスムスをなす示唆を、D/S配列の方向が1.1の反対であることに着目して考えるとと、2.656の母神ウェヌスへの疑念は敬神なるアエネーアースの本来の心情と反対方向のものであることを示唆するだろう。(*1) 全巻序歌冒頭ゆえに敬神なるアエネーアースの物語の主題を担うであろう韻律。 さらに、2.656の主韻律は2.659および2.670のDSDDDSと真逆の関係にある。これは下記の各行の趣旨を比較するならば、656は神(運/不運の母神ウェヌス)への「隠しきれない不信」であり、659・670は神(至高神ユッピテル)への「捨てきれぬ信頼」であって、ここに内容の真逆性が認められる。 ・656:あの袋小路の状況で私は運/不運の母神ウェヌスに見放されていたとしか思えない。 ・659:夢枕のヘクトルが伝えた新都建設の至高神ユッピテルの神意を私は疑いきれない。 ・670:至高神ユッピテルは死を賭したピエタースには応えてくれるはず。いつかきっと復讐してくれる。 また、656が館まで敵を排除してくれた母神ウェヌスの加護を念頭に置いていることは、656と664(母神への訴求)の主韻律がなすキアスムス関係の示唆であるが、他にも、アンキーセースの拒否理由との対応関係からも示唆される。すなわち、その理由は、①体力の老衰[足手まとい](2.638-639)、②神々は私を加護していない(641-642)、③これはトロイア二度目の神罰(642-643)、④個人としても既に一度至高神の神罰を受けた身(648-649)、の4段階からなるが、アエネーアースの応答の656は前記②に対応すると思われるからである。なお、アエネーアースの657-658は前記①への応答 [足手まといにしない] であり、さらに、659と660-661はそれぞれ前記③と前記④に「神罰」とその「受容」の主題で応答する。 *2.657・658:この2行と父の拒絶前の2.635・636の2行には次の連関がある。 1)内容 ・第1行目同士には、「genitor(父)」の行中央配置および「子の父へのピエタース」という上位概念の同一性がある。なお、具体水準では真逆の内容(前半_635:館に入る⇔657:外へ出る、後半_635:父を山へ運ぶ⇔657:父を起き去る)だが、これは657が反語表現であるため。 ・第2行目同士には、636の「起:(館に入ったとき、父を安全な山へ連れ出だそうと)アエネーアースは計画し実現しようとしていた」に対して658の「結:(父は計画を拒否し)逆を指示した。自分を館に捨て置いて行けと」の起・結関係がある。 同時にそこには、「私の館への出入り」という要素における「636 私が館へ入ったとき⇔658 私が外へ出るとき」、さらには「父へのピエタース」という要素における「父ともども脱出の『敬神』⇔父を見殺しに脱出の『不敬神』」という反語としての真逆性がある。 2)内容と一致する韻律 ・第1行目同士には主・従韻律の同一性がある(SDDSDS|AAPPAA)。反語としての真逆の内容が高度な同一韻律で語られるとき、反語の強調が際立つ。この「強調」があればこそ次行658のnefāsの不敬神に込めた受け入れ難さも強調され、さらに、その強調されたnefāsが、既に635の次行636で、2度の繰り返しで使用されていたprīmumと相まって、だからこそアエネーアースを自暴自棄に追い込む力がそれほども強かったのだと思わせる。 ・第2行目同士には主韻律に要素真逆のキアスムス関係がある(SSSSDD←ⓧ→SSDDDD)。 ここにおいて、636の4連続Sは次行で明らかになるおぞましい事態の前奏として、一方658の4連続Dは語られた父の言葉への強い不満の爆発として状況を好適に表現している。  さらに、658の韻律SSDDDD|PPAPAAは、2.664のDDSSDS|AAPAAAに対して主・従ともに真逆という高度な真逆性を示すが、これは眼前の難局に対する「親子間のピエタースに基づく非難」において、658の「アエネーアースの計画を『無にする』、『眼前にいる』『父』が発する『子の規範』に反すると思える『指示』」と、664の「アエネーアースの計画を『中途半端にしか手助けしない』、『姿の見えぬ』『母』神がとった『親の規範』に反すると思える『行動』」の真逆性に呼応するだろう。 加えて、「敬神」なるアエネーアースの物語の主題を担う1.1とも主韻律が真逆であるが、まさに、父の指示の「不敬神(nefās)」と呼応する。 *2.659:659と670の韻律の高度な同一性(主・従韻律がDSDDDS|AAPPAAで同一)の示唆は、670の確信「いつかきっと復讐してくれる」が、659の神意「トロイアの全き滅亡」を受け入れるピエタースに由来することであろう。ピエタースには報いがあるはず。 *2.660・661:スライドP. 12/14参照。 *2.662・666:スライドP. 12/14参照。 *2.664:スライドP. 13/14参照。 *2.664・665・666:スライドP. 14/14参照。 以上

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Recitation (Aenēis 2.641-655) and Slides_老父の心:怒る神々は諦めぬ_同道は私の死の定めに必ずや家族を巻込む_お前達はその敬神なる自立と神々の慈悲にかけて逃げよ

《和訳と訳注等》 〈和訳〉 【2.641 私が(今)命を長らえるように、仮初にも天の神々が望んでいたのだったら、】 【2.642 この館には、(最初の占領の時のように)私のために、(今そこにある)危険が迫らないようにしていたはずだ。(それに、お前は新都建設の神託を得たというが、)もう、たくさんなのだ(「神々へのピエタース」の無慈悲な不条理は)。既に一度、】 【2.643 (王族の一人として)私は都の破壊にも遭遇し、(彼らの多くが殺される中)占領で生き残(り都を復興させ)る経験もしてきたのだから。 (今度こそトロイアとともに私は滅ぶのだ。生かされた意味を考えてきたが、今夜こそ分かった。復興し繁栄の絶頂で、神々の無慈悲は、老いて再び破滅と占領の神罰に遭わせ、味わう苦しみをその挫折で数層倍にしたうえで死なすのだ。怒る神々は諦めぬ。)】 【2.644 それゆえ、おー、そのように(神々に)終止符を打たれ抜け殻 [cf 2.646 exuvia] 同然のわが身に(―死を定められ、お前たちをも巻き込まずにはおかぬこの身に―)お前たちは分かれの言葉をかけて立ち去るのがよいのだ。】 【2.645 私は暴力による死を見出すだろう。敵は哀れな奴よと見下して、】 【2.646 (殺した体から)武具を剥ぎとり我が物にするだろう。墓(と埋葬への望み)など捨て去るのは簡単なことだ。(死んだ仲間ともどもトロイアの灰と一緒になるだけのこと)】 【2.647 (実際のところ)既にずっと以前から私は、神々にとって厭うべきそして用済みの者として、馬齢を】 【2.648 重ねてきたのだ(死に時を探りつつ)。私に対して、神々の父であり人間たちの王(たる至高の存在)が】 【2.649 稲妻の疾風で息を吹きかけ、その火で触れたあの時からな。】 【2.650 (父は)このように述べて動かず、頑なにとどまっていた。】 【2.651 これに対し、私をはじめ全員が、泣きながら思いのたけを吐露した。妻のクレウーサしかり】 【2.652 アスカニウスしかり、全ての家人しかり。父が自分とともに、(ピエタースで結ばれている家族)全体の(命運)を転覆させてしまうようなことは、】 【2.653 言換えれば、差し迫る(祖国滅亡の)定めにその身を委ねるようなことは望まないでくださいと。】 【2.654 父は拒絶する。(断じて)動かず、死の座とその考えに固執する。】 【2.655 再び戦いにと私は(自暴自棄に)駆られ、(「父へのピエタース」の不条理に)この上なく惨めなまま、(殉)死を願う。】 <訳注> *[2.642・643]・648・[654・655]:[DSSDDD+DDSDDS]の連続詩行対が父の場面と子の場面で共有される意味  1)ピエタースにおける、「DSSDDD:上位者の不条理(思わぬ仕打ち)」と、「DDSDDS:下位者の自暴自棄」 ・2.642 DSSDDD:神々は私のためにこの館を安全にしてくれなかった。 ・2.643 DDSDDS:二度とごめんだ、破滅と生存・復興の労苦に耐えるのは。(また最後に破滅に遭う。怒る神々は諦めない。私はここで死ぬ。) ・2.648 DSSDDD:神々の父にして人間の王が(私を罰して)以来、私は(神々にとって厭うべきまた用済みの者として)馬齢を重ねている ・2.654 DSSDDD:父は説得を拒絶し、ここで死ぬと動かない。 ・2.655 DDSDDS:私は絶望し、死を望んで再び戦闘に駆られる。 ※主韻律「DDSDDS」は、「DDS」の繰り返しによって自暴自棄の高ぶりを動的畳みかけで好適に訴求している。 2)読者は英雄アエネーアースの直面する不条理には素直に共感するであろう。しかし標記の主韻律対の共有によって、同様に、アンキーセースが以前に味わった神々の不条理にも思いをはせることが可能となり、アンキーセースの行動が単なる老人の醜い頑迷ではなくなる。そうであってこそ、『アエネーイス』の主題であるピエタースの問題にアンキーセースの「頑迷」を転換できるのであり、これからアエネーアースを導いていくにふさわしい人格となる。 ここでの老アンキーセースの心情は「怒る神々は諦めぬ。同道は私の死の定めに必ずや家族を巻込む。お前達はその敬神なる自立と神々の慈悲にかけて逃げよ」のようであろう。  また、主韻律対共有へのこだわりは、2.642の語順の選択にも表れているようだ。  2.642’ hās sē|dēs mihi| servās|sent. satis| ūna su|perque || SDSDDD|APPPAA    すなわち、上記の語順でもヘクサメテルを形成するものの用いられていないのは、例えば、第1詩脚に「mihi」を配して3行連続で(641のmē、642のmihi、643のvīdimus)第1人称を訴求することなどが考え得るが、韻律面でも当該主韻律対の共有を図っていると思われる。 *2.641・643・651・655:キアスムス・真逆・同一の主韻律で呼応する4行 1) 641と643が 「キアスムス」: ・641 SDDSDD_起_ 神々は(今回)私の延命を望まなかった ・643 DDSDDS_結_ だから二度と殉死の機会を逃さない(同じ状況を一度経験済み) 2) 643と651が 「真逆」:643 DDSDDS_ 私は二度と殉死の機会を逃さない ⇔ 651 SSDSDD_我らとともに生き延びてください 3) 643と655が 「同一」:643 DDSDDS_私は二度と殉死の機会を逃さない = 655 DDSDDS_私も再び殉死へ向かう *2.647・648:この連続行が要素真逆のキアスムス主韻律を持つ意味  内容の関係要素の起と結が、下記のように起が結であり結が起と逆になっている。 ・647 SSSDDS_起_ 結果として、私はあの時から神々に嫌われ用済みの状態であった ・648 DSSDDD_結_ 起点として、それは至高神に(罰せられた)時からであった  なお、648の従韻律「AAAPAP」は第6脚が破格のPとなって「rex」が強調されており、自分を罰したのは神々と人間を統べる至高の存在であって、いかに自分が決定的に見放された存在であるかを強調している。 *2.641・642、644・645、646・647:高度に対照的な主韻律(第1脚~第4脚が逆)の連続詩行が7行中に3つある_それらの含意と効果   ・641 SDDSDD⇔642 DSSDDD:641の「神々」と642の「私」の間にある敵意 ・644 SDSSDD⇔645 DSDDDD:644の「お前たちは(敬神なる自立への神々の慈悲にかけて)去れ」と645の「私は(定めによりここで)死ぬ」の対照 ・646 DDDSDS⇔647 SSSDDS:646の「酷い扱い_敵兵が私の死体を」と647の「酷い扱い_神々が私の人生を」の対照  このようにアンキーセースの語りの中に高頻度で対照性の高い連続詩行対が現れることは、話者の心中がある種の敵意に満ちていることを如実に表すだろう。ただ、完全に真逆となっていないところに、自制がうかがえる。 なお、2.644の「SDSSDD」は1.1の「DDSSDS*」とキアスムスをなす主韻律であり、D/S配列の方向が1.1の反対であることに着目すると、2.644の「父を置いて立ち去れ」というアンキーセースの命令は敬神なるアエネーアースの行動指針と反対方向のものであることを示唆するだろう。*全巻序歌冒頭ゆえに敬神なるアエネーアースの物語の主題を担っている韻律。  さらに、2.646の「DDDSDS」は崩壊を含意する主韻律であり、「生」を捨てた者の自暴自棄的内容と呼応する。 *2.650・652:両行ともに、DとSの交互出現の主韻律「DSDSDD」で連関しつつ、心の動揺する様が好適に表現されている。 ・650:アンキーセースの言辞と強烈な拒否に動揺するアエネーアースと家族の心 ・652:そのようなアンキーセースを家族の皆が懸命に説得する際の、動揺している皆の心 *2.645・647・654:韻律座標で目立つ3つの頂点(全体は三角形状に分布) ・645 DSDDDD|APPPAA:主韻律が高度にD的であり、死ぬと言い放つ自棄の内容を好適に畳みかける。 ・647 SSSDDS|APPAAA:主韻律が高度にS的であり、「実はな」と話し出す神々への恨み節/諦観にふさわしい。 ・654 DSSDDD|AAAAAA:従韻律がAmaxであり、断固として動かないアンキーセースに対して、語り手アエネーアースの感情が最高度に高ぶったことを好適に表現している。 以上 補遺:至高神の枕詞について (1)『アエネーイス』におけるユッピテルの枕詞「神々の父であり人間たちの王」  2.648で、「dīvum pater atque hominum rex」は至高の存在としてのユッピテルの肩書・枕詞で、詩行の半分も占める長さを持ち、常に第4脚から第6脚に配置され、さらに韻律上他の語順が不可能な定型の表現である。全巻でどれだけの箇所で用いられているのかと検索した。  結果、この箇所を含めて4か所であった。第1巻で1か所、第2巻で1か所、第10巻で2カ所。意外と少ないので、恐らくここぞというとき、つまり、「ユッピテルの至高性」を訴求したいときに使っているのだと感じた。  次の4か所 ・1.65のアエオルスが管理を託された風どもの、アエネーアース艦隊を一挙に壊滅できるほどの暴力 ・2.648の下された懲罰の意味の重さ ・10.2の招集したオリュンプス会議の持つ重要性 ・10.743の天網恢恢疎にして漏らさずのユッピテルの目と、人間のそうと知りつつも驕り高ぶる傲慢さ (2)『イーリアス』におけるゼウスの枕詞「人間たちと神々との父」 土井晩翠訳『イーリアス』https://www.aozora.gr.jp/cards/001099/files/46996_40612.html 「の父」で検索し、perseus.tufts.edu の原文で確認  全11か所。1.544, 4.68, 5.426, 8.49, 8.132, 15.12, 15.47, 16.457, 20.56, 22.167.24.103 「πατὴρ ἀνδρῶν τε θεῶν τε: (pa|tēr an|drōn te te|ōn te|| SDD|AAA)|| 人間たちと神々との父」は、常に詩行の後半の半分を占める点では『アエネーイス』と同じですが、韻律が違う。主韻律は『アエネーイス』のDDDに対してSDDであり、従韻律が『アエネーイス』のPAPに対してAAAであって、従韻律の破格がない。アエネーイスの主・従韻律の方が印象が強いと思われる。  ギリシア語の直訳ではヘクサメテルとならないためラテン語ではpaterとrexを導入したのであろう。ただ、そのことによってローマ人にとってのrexという固有のニュアンスが生まれていないだろうか。人間界で王は至高神だけでよく、人間の王は要らないと。  全24巻で11か所は、『アエネーイス』の全12巻で4か所と頻度的には類似の範疇であろう。  ただ、『イーリアス』では全て当該戦場でのゼウスの言動の主語であり、64%がゼウスが他の神々へ語り掛ける場面で使われている。一方、『アエネーイス』では他の神々への語り掛けでの使用は皆無。ユッピテルのオリュンプス会議を招集したと語る箇所だけが引用ではないが、残りの3か所は、他の神々や人間によってユッピテルの行動が引用される場面である。  これは、『アエネーイス』の特徴として、神々の舞台裏が『イーリアス』ほど頻繁に語られず、読者と神々の距離が開いていることがあると思われる。神々は人間の手の届かないところにいる。ある意味、人間界のことは人間がピエタースのもとに自治で回していくという現実的な理念があるように感じる。

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Recitation (Aenēis 2.626-640) and Slides_神々の意志を己が目で得心し、母神の庇護の下無事に家族の館へ_しかし思わぬ父の逃避拒否

《和訳と訳注等》 〈和訳〉 【2.626 それはあたかもこのよう―山並みの尾根の、樹齢を誇るトネリコの(硬く強靭な)巨木に、】 【2.627 農夫らが(相対して)、「『鉄』(の種族にふさわしく)」つまり両刃の斧で、繰り返し切りつけ(斧と巨木の拮抗が続く中)、】 【2.628 我こそはと、根こそぎにすべく執念を燃やす。そのとき、それは(まずは耐えて)そびえ続けている。】 【2.629 そしてそれから、身震いとともに頂の葉をざわつかせ、ぐらりとする。】 【2.630 その後、傷の数々に少うしずつ打ち負かされて、ついには、】 【2.631 うめき声を上げつつ尾根から引き抜かれ、(今まさに)倒壊してしまった。(英雄の時代は鉄の時代に取って代わられた)】 【2.632 私は(英雄的戦いのステージを降り、落人へと)下り行く。さてそれは、神が導くとはいえ、(一人剝き出しで)炎や敵勢のただ中に、】 【2.633 放り出されているということ。(しかし、常に私の前では)武器が道を開け炎が退いていく。】 【2.634 そのようにして、もうはや、父の館の「戸口まで」(母神の言葉通り安全に)たどり着いていた。】 【2.635 そして古の(ままに無事な姿の)我が家に入ったとき、父が!(まさに)私はその人を峻険(で安全)なそこへ運び上げようと】 【2.636 (道々)望んできたのに、(誰よりも)最優先で、その山並へと。(館に入ってからは)最優先で、そうしようと努めてきたのに、】 【2.637 (その父が)拒絶するのだ。トロイアが(神罰を受け騙され)打ち倒されたからには、(同じ境遇の自分も)命を長らえるべきではないと、】 【2.638 落人(の流浪)は耐えぬと。「おー、お前たちこそ。それがお前たちにはあるのだから、(私のように)老いで衰えてはいない、適齢の】 【2.639 血気が。」と言う。「言い換えれば、(お前たちの)頑健な力は、(神々や親に頼らない)自身の強さで支えられているのだから。】 【2.640 お前たちこそ、急いで逃げよ。】 <訳注> *2.626:625「実際」と626「比喩」が連続的に同一主韻律を共有し、文脈の一体性を演出。 *2.627:627の主韻律は「均衡」含意の「SSSDDD」であり、農夫らの攻撃の記述が初めて現れる627はその後の推移の概要を伝える機能も有している。  硬く強靭なトネリコの老大木は、鉄の斧でも一撃では倒されず、時間と労力を必要とする。その間、切り付ける側とはじき返す側の間には「均衡」状態が出現し、ある期間持続するだろう。トネリコが耐えに耐えて最後に倒れることは、10年にわたる戦争の「均衡」を経て倒れたトロイアの比喩となるだろう。 *2.628-630:628-630の3行の主韻律にはトネリコの老大木の漸次的弱体化がうかがえる。初めの2行はともに「DDSSDD」の対峙含意の主韻律を有し、両者のほぼ互角の攻防を示唆する。「S」の領域に着目すると、初めは中央部の第3脚・第4脚であったものが3行目では第2脚まで拡大している。これはあたかも、トネリコの内部にダメージが広がり、第1脚と第6脚の皮1枚で幹を支えているようである。  なお630は「dōnec| vulneri|bus pau|lāt(im) ē|victa su|prēmum|| SDSSDD|APPAAA」の語順でもヘクサメテルをなすが用いられていない。これは、上記の韻律関係が崩れるためと考える。 *2.629・631:トネリコが最後を迎える631「DSDSDD|PPAPAA」と耐えている629「DDSSDD|AAPAAA」の韻律を対比すると、次の特徴と含意が想定される。  ・従韻律では、真逆となっており、持久と倒壊の真逆性と一致する。 ・主韻律では、628と629が外周に「D」、内部に「S」を配置しているのに対し、631の「D」と「S」が入り混じる様は、幹を支える秩序が崩壊し倒れゆく様のようであり、躍動的である。 *2.631-633:この3行が持つ韻律構造の意味。 1)2.632と631の主韻律は要素真逆のキアスムスをなす  631は前ステージの比喩世界での終幕であったが、632は次ステージの現実世界での開幕である。したがって、625の現実から626の比喩へ一度推移した舞台が再び632の現実へ戻るという舞台の回帰性、かつ、物語の「前ステージの終幕⇔次ステージの開幕」や「王国の戦争と滅亡⇔後継者の脱出」という真逆性・対照性がある。このような、内容の回帰性と真逆性は、主韻律における要素真逆のキアスムス関係と一致する。  ・631_起:比喩世界での、前ステージ(王国の戦争と滅亡)は終幕を迎えた  ・632_結:現実世界へ回帰し、次ステージ(後継者は脱出へ)が開幕した 2)2.633と632の主韻律は要素真逆のキアスムスをなす ・632「新規の起」:母神は、家族の元へとアエネーアースを敵中突破の「危険な道中」に導き入れる ・633「新規の結」:母神は、歩むアエネーアースの前から火災や敵勢の危険を退け、「安全な道中」とする 3)2.633と631は主・従韻律がともに同一(高度な同一性)  具体的内容は633の「母神の助けによる『敵の危険の排除』」に対し、631は真逆の「神々が駆り立てる『敵による滅亡』の比喩」であった。よって、同一性は上位概念に求めるべきであろう。すなわち、1.257-296で示された至高神の長期的神意の視点に立てば、その至高神が631のトロイア王国の滅亡に頷き、633のトロイアの英雄アエネーアースを無事に父の元へ届けることに頷くのも同一のシナリオの要素なのである。  この韻律の高度な同一性が強調する上位概念は「至高神の頷きは場当たり的に思えるが、実は全て背後の長期的神意に基づいている」ではないだろうか。  631ではそのことがそこまでの文脈から自明であるが、633でも、長期的神意を担うアエネーアースは無事に家族の元へ帰還する必要があり、ウェヌスによる彼の庇護は当然至高神の頷きの下にあるだろう。632の「神威」の主体が「deā」ではなく「deō」で表現されていることはウェヌスと同時に背後にいる至高神も示唆すると考える。※Il. 24.358-467を参照。 *2.629・633・634:この3行が持つ韻律構造の意味。   1) 629と634は同一の主・従韻律を持ち、その主韻律は「対峙」を含意する「DDSSDD」である。629での「対峙」には、強靭なトネリコの「老大木」と斧で襲い掛かる農夫らの「対峙」があるが、対峙の緊張感はその一方の老大木の「ぐらつき」という「悪い兆候」を伴っている。 634での「対峙」は、無事に戸口までたどり着いたアエネーアースと「愛しい父の古の館」との「相対」、さらにはこれからの「老父」との「対面」であろう。そして、ここでも対峙の担う緊張感が「その一方の悪い兆候」を暗示しているようでもある。それは3行後に示される父の「脱出拒絶」である。 2) 633に対して629および634の従韻律が真逆  これは、633の「①良い②現在事象」に対する、629・634の「①悪い②将来事象の兆候」という真逆性に一致する。 *2.635:中央にはキーワードの「genitor」が突如現れ鎮座するが、先行する「domōs」と「antīquās」と合わせて何らかの含意が想定される。 ウェヌスが620で無事にアエネーアースを送り届けると宣言したのは「līmina」までであって、それを通過した以降の館「domōs」ではウェヌスの関与は期待できない。一方、「antīquās」の「S(静的)」の響きは単に「古からの」というだけでなく、敵がうろついている中で、古からの姿を「平穏無事に」保っているニュアンスを付与する。すなわち、635の第2脚まではこれからの順調な逃避行の準備と出立を予期していると思われる。その意味で、第1脚・第2脚の「SD」に対して「genitor」の出現とともに、鏡面対称の「DS」に反転し反復することは、「順調な逃避行の準備と出立」に対して、「genitor」をキーワードとする逆境がこれから待ち受けることの示唆であろう。 *2.636:636は、「montīs」を中心に、第1脚の動詞「optābam」と第6脚の動詞「petēbam」が対応し、第2脚の副詞「prīmum」と第5脚の副詞「prīmum」が対応して、語の配置がキアスムスをなす。  また韻律的には、主韻律の「S」と従韻律の「P」の対が第1脚から第4脚まで連続し行全体としての一体感を醸成している。このとき、心理的に沈潜的「S」と陰的な「P」の組み合わせは主人公の恨み節に好適である。   さらに、「prīmum| montīs| optā|bam prī|mumque pe|tēbam」でも主韻律「SSSSDD」と従韻律「AAPPAA」のヘクサメテルをなすにもかかわらず採用されていない。これは「montīs」を中心とする語のキアスムス配置に意味を持たせているからであろう。すなわち、キアスムスの中心の「montīs」は両端の動詞を、それを軸として統合すると考える。ここで「montīs」は前行からの不定法「quem tollere in altōs montīs」の一部であり、その不定法は統合された動詞の共通の目的語となる。このようにして、語配置の形式美とともに、2つの動詞に担われ強調された目的であればこそ、果たせない苦悩がより切実に迫るだろう。  両動詞の時系列としては、その意味合いから、「optābam(望む)」は戸口につくまでの道すがらであり、「petābam(実行しようと努力する)」は館内部に入ってからであろう。 *2.637:父の脱出拒絶の背景等を、韻律を交えて考察→詳細はスライドP.13-15/17を参照。 (1)637と607:動詞「拒否する」および主・従韻律を共有する母神ウェヌスと父アンキーセースの言動の意味 (2-1)637と649:父の拒否の根本的理由「至高神に体罰された(以来神々に嫌われてきた)」 (2-2)637と604・608:父は「神々の真実を見て取った=神々に嫌われてしまった」と過剰学習した (3)619と640:「逃げよ」の同一語と主・従韻律の同一性(明文化範囲内)の背後にユーノーの影。父親アンキーセースの至高神とのトラウマを根本とし、自分はいない方が家族のためという「親の愛」に付け込んで、ユーノーが神威で「逃亡拒絶」を働きかけたように思われる。 *2.638:638と701の主韻律はキアスムスをなす。アンキーセースの逃亡拒否のエピソードにおいて、638 (DDSDDS) はアンキーセースが拒否の意志を語る最初の行でありエピソードの「起」にふさわしい。一方、701 (SDDSDD) はアンキーセースが、至高神の神意の予兆を見て納得し、受諾の意志を語る最初の行であり、エピソードを締めくくる「結」にふさわしい。  なおそれぞれにおいて、前半と後半が同一パターンの繰り返しで特徴的に躍動的であり、感情の高ぶりを、「vōs, ō」や「iam iam」の言葉と相まって好適に表現している。同一の従韻律も両行を結び付けつつ、高度にA的(陽的)で主韻律と歩調を合わせている。 *2.639:639の主韻律は崩壊含意の「DDDSDS」である。639で、アンキーセースは、老齢で弱っている自分を、若々しい力がみなぎっている家族(アエネーアース・クレウーサ・アスカニウス)から切り離し、さらにはトロイアが神々に嫌われて今滅びるのなら(同じように神々に嫌われてきた自分もここで死ぬのが妥当)と行くことを拒否している。  これによって、アエネーアースの計画「アンキーセースを筆頭に家族全員を守りつつ逃避行に出発」は破綻し崩壊したのである。なお、従韻律の「A」「P」交互の出現は崩壊の衝撃で心を揺さぶるに好適である 以上

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Recitation (Aenēis 2.610-625) and Slides_①諸神の実相を見ての悟り: 父神の神意と理由。②母神の覚悟の命令: 家族の未来を守り逃げよ_私はお前を決して見捨てない

《和訳と訳注等》 ※ウェヌスが見せ解説する神々の順序の仮説:当該順序は正確な時系列ではなく、論旨の展開に必要な順で時間軸を多少前後している それというのも、ユーノーに呼ばれたギリシア勢がスカエア門から次々となだれ込む(2.614)前にネプトゥーヌスが都の掘り崩しを終えていた(2.611)のならば、多くのギリシア勢が崩壊する都の土石流に巻き込まれて死亡することになる。  恐らく時系列的には、父神の諸神けしかけで始まり(Il. 20.19-30に類似)、ネプトゥーヌスの城壁とその土台および都全体の掘り崩しの完了(すなわちトロイアの都の更地化)で終わるのであろう。その間、ほぼ同時進行的に、ユーノーのスカエア門占拠と増援ギリシア勢の呼び出し、父神のギリシア勢鼓舞、パッラスの城塞頂上占拠、およびネプトゥーヌスの破壊行為の開始が起こるのであろう。なお、至高神ユッピテルはオリュンポスにて全体を俯瞰しつつ、Il. 17.456の不死の二頭の馬やIl. 17.498-499のアウトメドンの時のように、天上から地上の彼らに力を吹き込んだと解釈。  ウェヌスの編集は、最初にトロイア滅亡への神々の動機と怒りの激しさにおいて、最大のネプトゥーヌス、二番目のユーノーを取り上げる。この際、この神々の居場所にふさわしい場所としてそれぞれの因縁の場所があてがわれる。すなわち、欺かれたネプトゥーヌスには契約不履行の城壁であり、トロイア戦争を神々の先頭に立ってギリシア勢を支援したユーノーにはペルガマ攻略の象徴たるスカエア門である。なお、この両神を語る時は城内から外周下方を見下ろし、一方、パッラスの場合は、城塞頂上の女神の神殿を見上げることになる。つまり、神々が下から上まで、すなわち、都の全体を支配したことを悟らせることになるだろう。最後に、城塞頂上を見上げた視点をさらに上げると、上天に座す父神ユッピテルを語ることになる。  このような時系列的順序を入れ替えた神々の姿をウェヌスが自ら選んでアエネーアースの目に送り込むことが如何にして可能であるのか。一つの考えは、ルクレーティウス『事物の本性について』第4巻の「simulācra理論」であろう。  したがって、アエネーアースがウェヌスの編集なしに神々の姿を視認した最初は、ウェヌスが夜の闇に姿を消した(2.621)後に目に映ってきた神々の姿(2.622)であろう。それは時系列的に自然な、ネプトゥーヌスが進行させるトロイア掘り崩しの終盤である(2.625)。 〈和訳〉 ※2.608-609 こちら(を見よ。そこ)で、すなわち砂塵を巻き上げる城壁の崩壊が(それらだけが)お前に見えている場所では、(さあ、今、霞を払ったその目なら分かる、) 【2.610 (恐ろしくも畏怖すべき)ネプトゥーヌスが大いなるその三叉の鉾で、(ラーオメドーンの欺いた)城壁とその基礎を根こそぎに】 【2.611 揺り動かしている。いわば(情け容赦なく、)都の全体を土台(の外周)から】 【2.612 掘り崩そうとしているのだ。(一方)こちらでは、(少し前から、)誰よりも(トロイアに)無慈悲なユーノーが(ペルガマ攻略の象徴)スカエア門を】 【2.613 (神々の女王として)先頭に立って押さえており、激情のままに船々から仲間の軍勢を、】 【2.614 剣を帯びて呼び寄せている。】 【2.615 (次には)振り返って(目を城塞の裾野の城壁から背後の頂上に移して)見よ。既に、城塞の頂は、(そこに神殿を持つ、木馬の知略と技の女神であり、一方)トリートーン川の(畔で父神の頭から恐ろしい戦士の声で生まれた)パッラスが、】 【2.616 占領してしまっている。(つまり城塞の下から上まで全てを神々が押さえているのだ。)その女神は、(己の神殿の上にそびえ、上天の父神の)雷雲を背に(その雷鳴と稲光で闇から)浮き立ち(勝利の雄叫びを上げ)ている、メデューサの盾を構える立ち姿も恐ろしく。】 【2.617 (そして、さらなる上、上天を見よ。滅びの時を定める)父神は自ら、ギリシア人に(心の)勇気と(身体の)力を、その背中を押すように】 ※至高神ユッピテルはオリュンポスにて全体を俯瞰しつつ、Il. 17.456の不死の二頭の馬やIl. 17.498-499のアウトメドンの時のように、天上から地上の彼らに力を吹き込んだと解釈。 【2.618 授けているが、(そもそも、人間どころか)神々をトロイアの兵力へ駆り立てているのが父神自身なのだ。】 【2.619 わが子よ、飛ぶが如く逃げ延びよ(愛する家族を見捨てず、己の定めを生きるのだ)。(己の死に向かって愛する祖国を見捨てない)労苦はもう終わりとせよ。】 【2.620 私は、何があっても(お前を)見捨てない。そしてお前を(家族が手遅れにならぬよう)無傷で父の戸口に立たせよう。】 【2.621 母神は言い終えた。そして(私に畏怖の念を呼び起こしつつ、ユーノーやパッラスにすら見えぬよう)夜の濃密な闇の中に自らを隠した。】 【2.622 (その時、私の目にありありと)見えてきたのは、(真実の)神々の、恐ろしい形相と、(その振る舞いに現れる)トロイア憎しの】 【2.623 決然たる意志。】 【2.624 そのとき本当に、私は見た。イーリウムの全体が火中に没し】 【2.625 また(裏切られた)ネプトゥーヌスの(懲罰する)トロイアが根底から覆されるのを。】 <訳注> *2.610:Il. 20.130-131のヘレの言葉: 神々が目にも明らかに姿を現すときは、恐怖/畏怖を覚え、目を向けられない。この恐怖/畏怖が2.604の「aspice」と2.606-607の「tū nē iussa timē」の背景をなす。この恐怖/畏怖において、2.604・2.607および2.608(ネプトゥーヌスを見せようとする試みの最初)の高度にS的な「DSSSDS」という主韻律は、好適に効果を発揮している。すなわち、S的=静的=心が凍り付く=恐怖/畏怖である。  ここにおいて、ネプトゥーヌスの姿が初めて目に入る2.610がSmax「SSSSDS」であることは、その予告されていた恐怖/畏怖の顕現にふさわしい。  ネプトゥーヌスを最初に取り上げる理由は2.611訳注参照。 *2.611:2.611は2.602・603と同一韻律である。これは、2.611が、2.602・603の文意のネプトゥーヌスによる具体事例であることを意味する。また、ネプトゥーヌスがウェヌスの見せる最初の事例であることは、2.602・603の文意(神々の無慈悲がトロイアを滅ぼす)の最大の要因がネプトゥーヌスの怒り(ラーオメドーンの城壁建設報酬の欺き)であることを示唆するだろう。  また、2.611は2.602・603の警告の上書きとなったであろう。すなわち、ネプトゥーヌスがトロイアのために作った城壁を自ら破壊する恐ろしい場面は、神々が好意を示してもピエタースを維持しなければ恐ろしい結末が待つことを示唆する。 *2.612:「ウェヌスが見せ解説する神々の順序の仮説」参照。 *2.615:パッラス描写の始まりである2.615の主韻律は、均衡を含意する「SSSDDD」である。一般的には知恵と技芸および戦いの女神であるパッラスの、この時の特徴は、①城塞の頂点に自らの神殿を持っている*1こと、②木馬の計略に神技を提供している*2こと(おそらくオデュッセウスの発案も助けたろう)、③その木馬を謀られたトロイア人がパッラスの神殿まで運び上げた*3ことである。この、少し前の事情を「振り返る、回顧する」視点は「respiciō」の語義でもある。 ここから2.615の「jam sum|mās ar|cēs Trī|..」の「SSS」は、知恵と技芸の女神の現れである「木馬の計略」への助力を含意し、一方「..|tōnia, respice,| Pallas」の「DDD」は、戦いの女神の現れであるTrītōniaの添え名と誕生時のエピソード「父神の頭から恐ろしい戦士の声で生まれ神々を恐れさせた」を含意すると考える。  城塞の頂上にそびえ立つPallasは、このような対照的な「知恵と技芸の女神」と「戦いの女神」が両立・均衡する本領を見事に発揮した姿であろう。 *2.616:「ウェヌスが見せ解説する神々の順序の仮説」および2.615訳注参照。  また、アエネーアースが初めて覚えた苛烈な恐怖の2.559は2.616の直近において「SSSSDD」の主韻律を共有し、また「saevus(苛烈な、荒れ狂う)」の形容詞も共有する。2.559の恐怖は、ウェヌスがアエネーアースの眼前に浮かび上がらせた愛しい家族の悲惨な映像によるものである。ここにおいて、2.559と2.616はアエネーアースがウェヌスに見せられた映像によって覚える「苛烈な恐怖」という共通点があると思われる。  すなわち、2.616には「苛烈な恐怖にふさわしい様」が含意されていると考える。 *2.617:「ウェヌスが見せ解説する神々の順序の仮説」参照。 また、2.617の父神の描写は均衡の崩壊「DDDSDS」の主韻律を持つ。トロイアがいつ・どのように滅亡するのか、全てを定めるのが至高神たる父神である。その父神が敵方に加勢するということは、まさに今夜トロイアは滅亡するのであり、「崩壊」の主韻律がふさわしい。 *2.619:アエネーアースへの逃亡命令の2.619が、1.1の主韻律「DDSSDS」を持つ。アエネーアースの逃亡があってこそ、1.1の「アエネーアースの物語」が開始されるのであり、両行の連関は好適である。 *2.620:ウェヌスのアエネーアース誘導の決意の2.620が2.597と同じ主韻律を持つ。2.597は、ウェヌスが「家族は本来なら既に手遅れ」と叱責する場面である。これと同じ主韻律を2.620が持つということは、2.620の「父の館の戸口に無事に立たせよう」という背景に「大事な家族が手遅れにならないように」という含意がある。 *2.621:敵対する両女神のそれぞれの描写である2.621と2.612が同一韻律「DSSSDS」でつながっている。2.612は人間の目には隠された状態でトロイア人に対して最も苛烈なユーノーの荒ぶる様であり、一方、2.621はアエネーアースを無事に家族の下へ届けると告げ闇に隠れた母神ウェヌスの様である。 具体レベルでは対照的な両行が主韻律および従韻律が同一であることは、上位概念に強調すべき同一性があるということであろう。その上位概念の同一性とは、「神威で暗躍する女神が感じさせる畏怖/恐怖」であろう。2.621でアエネーアースは闇に消えゆくウェヌスの神威に「畏怖」を感じたのである。  なお2.621における主韻律「DSSSDS」への詩人の意図の強さは、2.621の語群は語順を入れ替えると「dixerat| et spis|sīs um|brīs sē| condidit| noctis.|| DSSSDD|AAPPAA」という異なる韻律のヘクサメテルになるにもかかわらず、その語順が用いられていないことからもうかがえる。 またウェヌスは「力の弱い」女神(例えばIl. 5.297-430)であるが、ここでは、saevissima なユーノーと同等の「おそれ(恐れ/畏れ)」のインパクトをアエネーアースに与えていることが印象的であり、同一韻律でつながることの肝であろう。2.620の「(この火災と敵兵の中で)私は決してお前を離れない」という母神の「愛」の言葉が「強さ」として訴求したと考える。言い換えれば、その責務を十全に果たすためにウェヌスは夜の漆黒の闇に身を潜めたのである。 *2.622:2.622と2.574の主韻律が要素真逆のキアスムスをなす。  2.574起:「①脇道への逸脱」に向け、②ヘレナ(悪行の人間)のimāgōを、偶発(実は誘導)視  2.622結:「①本道への回帰」に向け、②神々の真実の姿を、自発直視 以上

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Recitation (Aenēis 7.37-45) and Slides_mājor_ホメーロスとカッリマコスの止揚_彼らを経た十世紀単位の世界規模の黄金時代再創出は、より大きく精緻な叙事詩を望む

「mājor」はホメーロスとカッリマコスの止揚:彼らを経て、カエサルの戦争による十世紀単位のしかも世界規模の黄金時代再創出はより大きくかつ精緻な叙事詩を望む 《7.44・45の「mājor」がカッリマコスの主張を踏まえていると考える理由》―叙事詩『アエネーイス』はホメーロスとカッリマコスの止揚 (1)ウェルギリウス三部作の詩行にみる「王らと戦争(叙事詩典型主題)のヘクサメテル」へ向かう意志 1)『牧歌』 ・4.1:「黄金時代がやってくる」というクマエの予言を告げる第4歌の冒頭行に、「paulō mājōra canāmus. (私は「より大きなこと」を少しく歌おう)」があり、「黄金時代の再来」と「mājor」がヘクサメテルの主題として結び付けられている ・6.3-4:王らと戦争を歌おうとしたが、牧人の仕事ではないとアポッロー神に忠告された 2)『農耕詩』 ・4.559-564:カエサルが東方で軍功をあげている頃、私は魅惑的だが恐ろしい歌のセイレーン(パルテノペー)にちなむネアポリスの地で養育され、人知れずこの詩作に没頭し才能を開花させた 3)『アエネーイス』 ・1.1:戦争と勇士を私は歌う。 ・7.37-45:私は王らと戦争をより大きく物語る (2)「大きいことを歌う」ことと「カッリマコス」の関係、および「カッリマコス」と 「『牧歌』 6.3-4」の関係  古代ギリシア・ローマ文学史上、貧相な内容を大仰に陳腐な言葉で叙事詩と称する風潮を批判して、紀元前3世紀アレクサンドリアのカッリマコスは、次のような主張をし大きな影響を与えた。(例えば、逸見喜一郎『ギリシア・ローマ文学」, p.117) ・もはや今の時代に叙事詩は作れない ・馬車に踏みにじられた大道は避けて、人知れぬ小道を歩め ・濁った大河の水ではなく、清らかな泉を求めよ ・家畜は太らせよ、しかし歌は細身であれ   (『牧歌』 6.3-4がこれを引用して、アポッロー神は牧人らしい細身の主題に回帰させた) (3)「今の時代」だから必要な「王らと戦争」の既存の叙事詩「より大きい」それとは 1) カッリマコスによる同時代の新たな叙事詩の否定は、科学や哲学がヘレニズム世界に広がった時代の要請といえるだろう。今さら、神々と王らの戦争の物語に文学的才能を注ぎ込む意義が見出せなかった。 2) しかし、カエサル(アウグストゥス)が最後を務める*ローマ人の長い戦争の果てに、地中海およびその周辺世界に人類史的転換をもたらしたとき、時代の要請も変わった。すなわち、広い多民族世界全体に、十世紀単位の「黄金時代の再来」と考えられる「ローマの平和」を維持すること。そのために、それを支える精神文化を生み出すことである。 *「A. 7.40 prīma pugna」は、「黄金時代」に至るべき、カエサル(アウグストゥス)が最後を務める「ローマ人」の長い戦争の「始祖アエネーアースによる、最初の戦争(ラティウム戦争)」であると解釈することによって、詩人の全体ビジョンでの「叙事詩:ラティウム戦争」の位置づけが明確になるだろう。  最初と最後が対となり、アエネーアースを語ることがカエサル(アウグストゥス)を語ることになり、ひいては「ローマ人」の開闢から「黄金時代の再来」に至る全体を象徴的に語ることになるだろう(『イーリアス』の最後の一日の語りがトロイア戦争全体を象徴的に語るように)。 3) 過去1,000年を超える神話・哲学・技術の各時代の成果と蓄積の上に「ローマの平和」が築かれるように、新たな時代精神を担う詩人の作品もそれらの成果を統合・止揚して築かれるだろう。 4) その文学形式として、時代の要請という主題の大きさ・重さに耐える最もふさわしい形式は「叙事詩」であろう。 5) 形式のみならず、カッリマコスを統合・止揚することによって、カエサル(アウグストゥス)の単なる軍功称揚を拒否し、大きいながら陳腐を離れ清新な内容(神々と人間の高い理想)を、精緻な技巧で叙事詩に表すことができる。結果としてそれは、神々、人間、世界観・歴史観の再定義を通して、青銅器時代の時代精神を担うホメーロスをも統合・止揚することになる。 6) 神々、人間、世界観・歴史観の再定義の概論が『アエネーイス』の前半であり、一方、その概論が時代精神を担うべく、観念論に止まることを排するために、場面ごとの生身の人間の息吹を通して具体的に描写したのが『アエネーイス』後半のラティウム戦争であろう。 7) 以上を考えれば、『アエネーイス』後半のラティウム戦争の語り始めの序文として「mājor」の語を使用することはカッリマコスの主張を受け入れた詩人であり、同時に、「黄金時代の再来」たる「ローマの平和」を迎えようとする時代の詩人ウェルギリウスとして自然なことと思われる。 (4)前項(1)の韻律面の支持―『E. 牧歌』、『G. 農耕詩』、『A. アエネーイス』間の主韻律の連関 1) E「DSSDD|D + DDSSDD」→G「DSSDD|D + DDSSDD」→A「DSSDD|S」 a) E. 6.3・5およびG. 4.559・560の、「DSSDDD + DDSSDD」の主韻律を有する詩行対同士の連関 ・E. 6.3 「DSSDDD」:(最初は細身の歌を歌っていた[6.1-2])私が、大きな歌を歌おうとしたので(制止された[6.3-5]) ・G. 4.449「DSSDDD」:このように私は細身の歌を歌ってきたのだ(が…)  上記両行には、「大きな歌への意志がある、しかし、まだ力量と機が十分には熟していない私」という同一主題が うかがえる。 ・E. 6.5「DDSSDD」:務めは太く(大きく)、歌は細身であるべき ・G. 4.560「DDSSDD」:私は細身の歌を歌ってきた。その間、武人カエサルは大きく(務めを進めている[4.561-562])  上記両行には、「『大きな務め』と『細身の歌』」という同一の対比がある。「DDS→←SDD」の対峙構造の韻律と一致。 b) E. 6.3・G. 4.559・A. 7.44の、「DSSDD + D/S」の主韻律を有する詩行同士の連関  これら3行は第1脚~第5脚を共有し、A. 7.44だけが最後の第6脚が逆である。これは、同一路線を歩む最後にそれまで不十分だった条件が整ったような印象を与える。例えば以下の様な構図である。 ・E. 6.3・G. 4.559 :大きな歌への意志がある、しかし、まだ力量と機が十分には熟していない私 ・A. 7.44:ふさわしい題材が成就し(機が熟し)、私の力量も熟した。今や、大きな歌が私の務めであり、「務め」は大きく(大きな主題を)、同時に、「歌」は細身で(細身の心と技で)歌う ※ mājor(より大きな)ordō([話の]物事の道筋[叙事詩])は、mhi(私に)nascitur(運命づけられている) 2) G「4.562 DSDSDS ⇔ 563 SDSDDD」←ⓧ→A「7.42 DSDSDS ⇔ 43 SDSDDD」 <同一の主韻律真逆の連続詩行対が形成する要素真逆のキアスムス>  要素真逆のキアスムス:カッリマコスも認めるだろう叙事詩が成立するための2大要素、①「題材:価値ある王/英雄らの戦争と事績」および②「作詩:詩人の力量」において、下記のように、要素を真逆として起結関係が『農耕詩』と『アエネーイス』の当該詩行対に認められる。  起「G:両要素ともに成熟が近い」←ⓧ→ 結「A:両要素ともに成熟済み」  なお、各々の主韻律真逆連続詩行対における、内容の真逆性は次のように考えられる。 ・G. 4.562⇔563:成熟への近さにおいて、「題材(カエサルの事績)」⇔「詩人の力量」  ・A. 7.42⇔43:成熟済みにおいて、「詩人の力量(dīcamに焦点)」⇔「題材(ラティウム戦争とアエネーアース)」 〈補遺1:G. 4.559-566〉 【559 このように穀物畑の耕作や家畜の飼育について私は歌ってきた、】【560 樹木についても。それは、大いなるカエサルが深い川のほとりで】【561 つまりユーフラテス川に近い会戦にて(敵勢を)稲妻で打ち、勝利者として、進んで服従する】【562 民族らにはその隅々まで法を与えて、オリュンプスへの道を歩みだすまでのこと。】 【563 (カエサルがオリュンプスへの道を歩みだす)その頃、私ウェルギリウスを(魅惑的ながら恐ろしい歌のセイレーン)にちなむ地が育んでいた、】【564 すなわちパルテノペー(たるネアポリス)が。その私は、その地で世間から離れて人知れず、詩作への熱意に燃え、(その才能を)花盛りにしていたのだった。】 【565 そのような私は、(かつて)牧人の歌を楽しんだ。それは、言い換えれば、若気の至りゆえに(より大きなことを少し歌ったり、王らと戦争を歌おうとし制止されたりと)無謀でもあった者が、】【566 ティーテュルスよ、枝を広げたブナの木の下のお前を歌ったのだ。】  563-564では、「flōrentem」の言葉から、養育されて『農耕詩』を書きあげた今、大きな主題を歌う力量が付いた、との主張が読み取れる。一方、565-566では、「audax juventā」には、『牧歌』の4.1「paulō mājōra canāmus」および6.3「cum canerem rēgēs et proelia」が含意されているだろう。『アエネーイス』の冒頭行A. 1.1「Arma virumque canō」に至る、『牧歌』の位置づけが、その冒頭行E. 1.1「Tītyre, tū patulae recubans sub tegmine fāgī」を受けた『農耕詩』の最終行G. 4.566「Tītyre, tē patulae cecinī sub tegmine fāgī」に現れている。 〈補遺2:E. 6.1-5〉 【1 最初、(その女神は私の)シュラークーサエの詩行(牧歌)を快く楽しんでくださったし、】【2 その我ら(牧人)の(牧歌のムーサ)タリーアは、(響くのがそのような歌であったがゆえに)森にとどまることを恥とはされなかった。】 【3 私が王らや戦闘を歌おうとしたとき、キュントゥスの神(アポッロー)が耳を】【4 引っ張り(それを思い出させ)、警告した。「ティーテュルスよ、牧人は、羊が太るように】【5 放牧するべきであり、一方、歌は細身に語るべきである。」】 《和訳》 【7.37 今こそ、(愛の)エラトーよ、(私に)注意を向け給え。(それというのも私は、)いかなる王たちが(いたのか)、いかなる時勢で(あったのか)、】 【7.38 (言い換えれば)古のラティウムは政治的にいかなる状況にあったのかを、つまり、外国の軍勢が艦隊を】 【7.39 (辛苦の果てに)初めて(神意の)アウソニアの岸辺に舫った時点のそのことを、】 【7.40 詳らかにしようとしているのですから。つまり(敵味方が血の融合を果たしたローマ人の、黄金時代再来に至る連綿たる戦いを象徴する、始祖による)最初の戦いの始まった経緯をたどろうとしているのです。】 【7.41 あなたが(この予言の)詩人に、あなたが、(愛の)女神よ、(生きる)言葉を吹き込んでください。(それというのも、これから)恐ろしい戦争を私は語ろうとしているのです。】 【7.42 私は語ろう。戦列を、そして臆せず死に駆り立てられた王たちを、】 【7.43 言い換えれば、テュッレーニア(イタリア)の軍勢と、全へスペリア(イタリア)が駆り集められた戦争を。】 【7.44 (カッリマコスの時代認識を超える黄金時代再来への)事績の数々の、より大きな、物事の道筋(叙事詩)は、私に運命づけられている。】 【7.45 (王たちと戦争の)より大きな語りを私は始める。 ラティーヌス王は田野と諸都市を】 以上

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