Jovis die 28 mensis Septembris 2023

ACROAMATA LATINA

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t. miura

Recitationes latinae



Recitation (Aenēis 2.206-219) and Slides_視覚と聴覚が理性を素通りして群衆をパニックへ:事象が神業に直結

《重要な含意と和訳》 〈重要な含意〉この段では詩人が韻律の技巧を凝らして大蛇の襲撃と殺戮の様を歌い、聞く者の情動に訴求する。一方で、その分だけ、どのような事態に直面しても冷静に、これは神々の罰ではなく自然的事象の偶然の一致であると判断できるはずだという、埋め込まれたルクレーティウスの声も高く響く。  神々に怒りを持たせたことが人間を不幸にしたとルクレーティウスは言う(Lucr. 5.1194-1195)。この視点からは、悲惨な出来事を神の怒りの罰へ短絡するのは、まさに否定されるべきことである。この世界は人間の(生き易さ)ために神々が創造したのではなく、様々な生きづらさに満ちている(Lucr. 5.195-221)。その中に、陸に海に繁殖させる野獣の餌食になったり、疫病になったりで時期尚早の死を迎えることが例示されている(Lucr. 5.218-221)。これはまさに、2.215の子供が海からの大蛇の餌食になる場面に呼応するのであり、神業に短絡していくトロイア人の群集心理への批判的視点を用意している。 〈和訳〉  【2.206 胸は波間に(隠れようもなく高く)立ち上がっており、(その頭上には、戦車を駆って迫りくる恐ろしい武将の兜に見るような)前立てが 】 【2.207 血のように赤く、波の上にそび立つ。その他の部分は海の水を】 【2.208 後方で縫うように進みゆく、すなわち、巨大な背中を蛇行するように(左右に)くねらせている。】 【2.209 (繰り返し左右にくねる力で)海が泡立ち、大きな音の生じる(のが聞こえてくる)。(そのような様が続き)今や、(我らのいる)陸に着こうとしていた。】 【2.210 そして、血と火で染まり燃え立つような(両)目をしたそれら(二匹)は、 】 【2.211 シューシューと、(長い)舌を震わせながら(出し入れして、口元から音を漏らし)、なめていたのだ(そのかぶり付く)口を。】 【2.212 我らはそれを見て血の気を失い、(くもの子を散らすように)ちりぢりに逃げ惑う。(一方、二匹の)それらは迷いのない動きで】 【2.213 ラーオコオーンへ向かう。そしてまずは、(彼の)二人の幼い】 【2.214 息子らの(それぞれの)胴体を(一匹ずつで)巻きながら包み込んだ。そうして、どちらもが、】 【2.215 (ぎゅうと)ねじり上げて、哀れな様の(子供らを)むごたらしくも、(その)四肢に(一気に)かぶりつき、(頭からごくりごくりと)飲み込んでしまう。】 【2.216 その次は、その者(ラーオコオーン)自身だ。(息子らを)助けるために、投げ槍を手にして向かって来る彼に、】 【2.217 二匹は早業で襲いかかる。巨大ならせんをなすように、(足元から上へ)ぐるりぐるりと巻き付いていく。(そのような様が続き)今や、】 【2.218 (各々逆向きに数回巻いた二匹で)ふたえに(DNAの二重らせんのように)、(足元から頭頂への)中央部分(ももから胸部)をくるみ終えた。(続けて、同様の)ふたえに、ぐるりと彼の首へ、うろこに覆われた】 【2.219 背中を巻き付けた。(遂には)それら(大蛇)は、(到達した彼の)頭部において(なおその体長が)あり余り、そうして(自身の)鎌首を高くもたげてそびえ立つ。】 《内容と韻律形式の一致》 (1)  「当該前方14行*1における第1脚のD度合い*2」のグラフ(X軸:2_1~2_219)において―*1 注目する2_06-219の14行を基準とした。*2 100%:全行D, 0%:D/S半々, -100%:全行S 1) 2.206-219は第2巻で最も第1脚のD度合いが高い(71%)3つの段の1つ―物語の展開を動的に畳み掛ける場面:2匹の大蛇が襲来し殺戮する 2) 3つのピークの内容 ・最初のピーク (2.29-31):木馬の出現と混乱 ・2番目のピーク (2.112):ギリシア勢のトロイア脱出に必要な人身御供の宣託と混乱 ・3番目のピーク (2.206-207):2匹の大蛇の海よりの襲来と殺戮 3) 2.206-219における内容と第1脚Dの関係の特徴 3-1) 同じ大蛇襲来でも、遠景(2.203-205)では密かに忍び寄る様を3連続第1脚Sが担っていたが、この段における近景(2.206-208)では迫りくる恐怖の高まる様が3連続第1脚Dで担われており、これは効果的な使い分けである。 3-2) 2.206-219中ただ2か所(210と216)の第1脚Sは、場面転換時に新たな対象へ焦点を合わせ直す不気味な間を効果的に表現する。 ・210:海上襲来から上陸へと場面が転換し、間近となった大蛇の燃える目に焦点が移る。 ・216:子供らの殺戮から父親本人へと場面が転換し、襲い掛かる父親へ焦点が移る。 (2) 2.206・211・214・218の主韻律が「DSSSDD」である意味 恐怖感の巧みな描写:第1脚Dの担う事象を続く3連続Sでじっくり味わわせ、これで終わりではないとばかりに2連続Dで新たな事象を登場させる ・206:波上にそびえる胸の様→さらには、たてがみ ・211:舌なめずりするシューシュー音→さらには、チロチロと震える舌 ・214:子供の胴体に大蛇が襲いかかる様→さらには、巻き付く ・218:父の胴体に巻き付く様→さらには、蛇の胴体が首に (3) 2.209・2178の主韻律が「DSDSDD」である意味 DSDS:動きの繰り返しの中で事態が進行し、DD:次の事態がたたみかける ・209:(胴体をくねらせて推進し、波上に持ち上げた胸が海水を切り分け)泡立つ音を立てて海上を接近してくる、類似状況の繰り返しが恐怖におびえる心理的には長く、しばしの間続き→その果てに(iamque)、着岸・上陸する ・211:父親の胴体の周囲にぐるりぐるりと巻き付く様が、恐怖におびえる心理的には長く、しばしの間続き→その果てに(et iam)、大蛇二匹の二重の巻き付きが完了する (4) 2.215の主・従韻律が「DDSSDS|AAPPAA」である意味 1) 内容と韻律形式の一致 ・主韻律  DD: 二匹の大蛇による締め上げの、畳み掛けるような攻撃  SS: 締め上げられた二人の子供の、とどめを刺されるまでの心理的に長い恐怖と悲惨の時間  DS: 素早くかぶりつき(D)、心理的に長い時間をかけて(S)体全体を飲み込んでしまう ・従韻律  AA: 攻撃する二匹の大蛇  PP: 犠牲となった二人の子供  AA: とどめに子供らを飲み込んだ二匹の大蛇 2) 全編主題を担う1.1との「DDSSDS|AAPPAA」の共有による、全編主題との強い連関:子供も容赦しない不敬神を忘れない神の怒りの無慈悲さ (2.215:パッラス/ネプトゥーヌス、1.1ユーノー[アスカ二ウスも容赦しない]) (5) 補足 生きたまま野獣に捕食される人間の悲惨―ルクレーティウスの場合 「Lucr. 5.991 pābula| vīva fe|rīs prae|bēbat,| dentibus| haustus|| DDSSDD|AAPAAA||生きたエサとして(自分を)野獣どもに差し出していた、牙で食べつくされて」 上記詩行は、内容的にも韻律的にも 『アエネーイス』 2.215と類似しているが、文脈的には自然の供給するもので満足して生きていた原初の人間を襲う、決して人間のために好適なものとして神々が創造したのではない、数々の生きづらさを持った自然の厳しい側面の事例紹介である。 したがって、ルクレーティウスにとっては、人間の子供が大蛇の餌食になることは自然界で起こり得ることであって、一直線に神々の怒りに結びつけるものではない。その短絡思考こそ迷信である。 (6) 2.207・213の主韻律が「DDSSDD」である意味―前半「DDS」の主体と後半「SDD」の主体が「→←」のように対比される ・207  前半:海上を渡ってくる大蛇の、海面上にそびえたつ胸と頭頂部の前立て  後半:海面下で身をくねらせて体を前に押す大蛇の後ろの部分 ・213  前半:ラーオコオーン父子に向かう二匹の大蛇  後半:二匹の大蛇が狙う二人の子供 ※従韻律において、2.207は最高度にP的であり、一方213では高度にA的である。内容面でも、前者は海上を迫りくる大蛇の不気味さを担い、後者は上陸した大蛇がまさに襲ってくる心臓の高鳴るような恐怖感を担っており、内容と韻律が効果的に呼応している。 (7) 2.210の主韻律が「SDSSDS」である意味―前半の「SDS」と後半の「SDS」が、内容の担う「大蛇の 『血走って(sanguine)』『燃える(-tīsque ocu-)』 両眼」のよう (8) 2.216の主韻律が「SDDSDD」である意味―前半「SDD」と後半「SDD」が二匹の大蛇であり、これから次の標的ラーオコオーンに向かって飛び掛かる様のようである (9) 2.219の主韻律が「DDDSDS」である意味―SSSDDD「均衡」の真逆であるDDDSDSは「均衡の崩壊」の含意を持つ 219では、もはや死を免れ得ない一線を越えてしまったこと、とどめが待っていることを示唆する 《補遺》 この段には、下記のような問いかけがあると感じられる。 ウェルギリウスからルクレーティウスへの問いかけ「親が死を賭して子を助けようとするのは是か非か」 「ルクレーティウスは『是』とする」というのがウェルギリウスの解釈であろう。この共通点(無償の愛)が伝統的敬神を罪深い迷信として否定するルクレーティウスを、伝統的敬神もろともに統合する基盤であると考える。 ・伝統的敬神(正):「報奨」ゆえの「相互授受」の敬神 ・ルクレーティウスの敬神(反):一方向(人間→神々)の「無償」の、神々を手本とする敬神 ・ウェルギリウスの敬神(合):双方向(神々→人間、人間→神々)の「無償」の、神々を手本とする敬神 (1) 子の救済を否定するルクレーティウスの基調的主張 1) 万事を、心の平和を乱されずに、(座して)眺めていられることが敬神の道(神々のそのような在り方を崇敬し己もそこへ向かう態度)である[Lucr. 5.1203]。 2) この世につくり出されなかったとて、それに何の差し障りがあろうか[Lucr. 5.180]。 3) 誰も永遠に(人の死を)悲嘆して朽ち果てることはできない、物事は眠りと休息に帰するのだから[Lucr. 3.910-911]。 (2) 子の救済に肯定的なルクレーティウスの記述 1) 今の大地が老齢期突入した時に多くの生物が絶滅した。獅子・狐・鹿・家畜がその絶滅を回避できたのは、自然がそれぞれの動物に恵んだ雄々しさ(virtūs)・狡猾さ(dolus)・逃げ足(fuga)・人間との共生価値(ūtilitās)という特長のためである[Lucr. 5.855-877]。しかるに人間の場合は、つたない言葉や身振り手振りの意思疎通を図って善隣友好の盟約を結び、弱い者ら皆に心を寄せることは公正なことであるとして、その盟約に、動物に比して脆弱に生れつく子供や女性(の安全を)託し始めたことであった[Lucr. 5.1019-1023]。これは公共善の概念とそれを支える慣習や法律の創出であった[Lucr. 5.958-959]。 2) この人間の変化をもたらしたのは、家庭の形成(技術的進歩を含む)と親子関係であった。利己的に一人で力ずくの傲慢な在り方から家族での和らいだ在り方への転換である[Lucr. 5.1011-1018]。 ※いわば、自然が人間に与えた特長は、「現状の甘受にとどまらず必要なことを考え変える能力」である。これが種の絶滅から救いもし、しかし悪用による強欲の起源ともなったのだろう。この能力の善用の終着点がルクレーティウス的には原子論の真理(人間の苦悩からの恒久的解放)の発見なのであろう。 以上

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Recitation (Aenēis 2.192-205) and Slides_「真実」へ同一概念で導くルクレーティウスとシノーンが真逆の各論で対峙:原子論と統合すべき伝統的敬神の問題が浮き彫りに

《重要な含意と和訳》 〈重要な含意〉同一主韻律(DDSSDD, DSDSDS, DSSSDD)が、「シノーンの甘い偽りの締めに続くアエネーアースの慙愧の冒頭」をルクレーティウスの「真実を最後に隠れ家から引っ張り出す正道」の3連続行へ繋ぐ。  このシノーンの精緻な詐術は全巻主題(敬神の再定義)上の必須のエピソード。  ルクレーティウスとの対話が、認識を「真実」に導く「方針と手段」の概念の同一性(*1)と、各論の真逆性の下で展開され、原子論的視点が伝統的敬神の問題点(*2)を浮き彫りにする。 *1概念の同一性 (1) 方針「真実への到達前に(この分かりにくいが素晴らしい)贈り物が打ち捨てられることのないように」 (2)手段2-1「 順次にピースを例証し全体像を把握して真実を隠れ家から引き出す」、     2-2「 詩行の魅力で引き付けると共に、分かりにくい論を明快にする」 *2 伝統的敬神の問題点 (1) 哀れむべき善人への、ユッピテルの主客の定めに従う敬神なる行為こそ、敵の奸計の思うつぼ。 (2) 神々にかけて誓う言葉が偽りであるにも関わらず、その最大の不敬神を犯させるままに放置し、しかもその犯した者が滅びの神罰を真っ先に受けない神々の正義の不条理。 (3) 伝統的宗教の、神々と人間を相互授受で神官がつなぐ枠組みは、神官またはその上位者の恣意的な神罰と報奨の使い分けによる、不正義な統治に陥りやすい。本来人間らしい統治を享受できるはずが、第1巻でアエオルス王が腕力を頼みに反発と屈服を繰り返す風軍団を「飴と鞭」で統制するような、野獣のような統治へ堕することになる。そこでは、いかに鞭を避け飴を得るかという打算が行動の動機となり、合理精神の指し示す真実が覆い隠されるだろう。 〈和訳〉  【2.192 しかしそうではなく、(心を一つにした)あなた方(皆)の手で、あなた方の都の中へこれが登りつめた(つまり最上部の聖域に安置された)暁には、】 【2.193 反対に、向こう(のギリシア)側へと、アジアがギリシアの城塞都市の数々へ(その破滅へと)向けて、(神々の恩寵の関与の下)大いなる戦争を巻き起こしつつ、】 【2.194 襲来するであろう。すなわち、それらのような(真逆の)ユッピテルの神意が、私と(その言葉を信じ仲間に受け入れた)あなた方、つまり我らの子孫を待っているのだ。 (※シノーンの奸計の声:どちらを選ぶべきかは明らかなこと)(※ルクレーティウスの合理の声:己の迷信ゆえに、真実と逆の破滅に引き込まれているのが分からないのか)(※ユッピテルの神意の声:その逆の破滅が遠い将来の統合の再逆転を生むのだ)】 【2.195 シノーンの、このような(ユッピテルの定める主客の掟を守る善人が亡国の落人に持つべき宗教心を逆手に取って、敵対者の危機を己の好機に逆転させる神々の秘密を持ちかけるという、業を知り抜いた人間の)奸計(のおぞましさ)と、(神々の)正義にかけた誓いを(平然と)偽る(演)技の力によって、 (※アエネーアースの内心の声:なんと神々も人間も軽々しいものなのか)(※アエネーアースが眼前のディードーへ聞かせたい内心の声:ディードーよ!まさにシノーンにこそ誰より先に[今からでも]神々は破滅の予兆を振り向けるべきなのではないのか![2.190 exitium (quod dī prius ōmen in ipsum convertant!)の「ipsum」=Sinōnem]、】 【2.196 (偽りの)次第を真実として受け入れたのだ。 (※アエネーアースの内心の声:なんと我々は不名誉な愚か者になり果てたことか!我々は、知恵の悪用とお涙頂戴(の三文芝居)によって征服されてしまったのだ)】 【2.197 テューディーデースにもラーリーサのアキッレースにも(名誉ある正々堂々の勇士には征服されなかった。 (※アエネーアースの声:あー、しかし、それは、先の王が犯した不敬神ゆえに、敬神なる我らが不名誉に滅ぶ定めに向けた、束の間の幸運(神々の正義の寄る辺なさ)に過ぎなかったのか)、】 【2.198 十年の歳月にも、一千そうの船にも征服されなかった我ら(の敬神の)。】 【2.199 この時である(シノーンが言い終えてまだ間もない時に)、さらに、哀れむべき(不名誉な)者たちに対して、もう一つの事態が、より大仕掛けで(理性の残滓を一掃するような)恐るべき様で、】 【2.200 立ち現れ、先を見る目(と理性の光)を失った(群衆の)心理を(罠の深みへ)揺さぶり煽る。】 【2.201 (それというのは)、かのラーオコオーンは、ネプトゥーヌスのための(名誉ある)神官職に(以前より)くじで(公正に)選ばれ(務めてき)ていたのだが、 (※アエネーアースの声:あー、しかしそれは、先に彼が二人の子を得た神殿での不敬神ゆえに、彼の正しい判断と行為が逆に奸計の後押しに堕すという不名誉を着て夫子共々滅ぶ定めへ向けた、束の間の幸運(神々の正義の寄る辺なさ)であったのか)】 【2.202 (彼はその時、その職務を受けて、「馬」を神獣とするネプトゥーヌスであり、また将来の遠征航海の無事を司る、その神威に祈願するために、)祭儀に(時間をかけて敬虔に厳かに、つまり)古式正しく、巨大な雄牛を、(これも正しくしつらえた)祭壇へ、生贄として捧げていたのだった。】 【2.203 しかるに、見よ!それらが対をなし、テネドス島から海原を横切り、(頭を僅かに上げ下げし)忍び寄る、】 【2.204 語りながらも身震いする、(島でそれぞれ)巨大なとぐろを巻いていた(二匹の)蛇が(やおら身をもたげて)】 【2.205 海上へ身を投じ、(二匹)そろって(こちらの)岸へ、(見る間に、鎌首をもたげて)迫ってくる。】 〈内容と韻律形式の一致〉   同一主韻律(DDSSDD, DSDSDS, DSSSDD)が、「シノーンの甘い偽りの締めに続くアエネーアースの慙愧の冒頭」をルクレーティウスの「真実を最後に隠れ家から引っ張り出す正道」の3連続行へ繋ぐ意味 1)まず、Lucr. 1.408の「caecāsque latebrās」は、同じ語を用いて描写された(A. 2.19, 38, 55 )トロイアの木馬の中に潜むギリシア兵らを想起させる。 2)ルクレーティウスのこの連続3行は、真実の痕跡から始まり遂には全体像と真理の発見に至る道を語るのであるが、同じ主韻律でつながるシノーンの甘言の最終段と「だまされた」のトロイア人の最終的悟りにおいては、同じく真実の痕跡(シノーンのギリシア人たることの告白)から始まりつつも、シノーンが次々と繰り出すうそを、敬神なる者が哀れな者へ持つべき同情心から、次々と偽りを鵜呑みにし真実から逆向きに導かれ、最後は、相互授受の敬神の契約概念からの報酬を得んとしてまんまと罠にはまってしまうという、類似の形式ながら真逆の帰結に至る。この内容の真逆性が、行番号における同一主韻律推移の真逆性となって現れているのかもしれない。(Lucr.:昇順、A.: 降順)  このような形式の類似性と帰結の真逆性は、ウェルギリウスによる作品主題(敬神)の「伝統的敬神(正)と原子論的敬神(反)を人類の新時代へ向けて統合する敬神(合)を提示する」のための手段であると考える。  すなわち、「真実」へ向けた導きの方針*1と手段*2の上位概念を同一にすることによって、木馬の「偽りの真実」へ導くシノーンの方針と手段の各論が、ルクレーティウスの原子論の「誠意を込めた真実」のそれと対比され、伝統的敬神の問題点が浮き彫りにされるのである。そしてそこでは、神々の存在と相互授受の神々-人間関係を疑わない信仰と、人間を宗教から解放するために自然の摂理を理性で解明しようとする立場の真逆性が真逆の帰結をもたらしている。 *1 これはあなたのための贈り物だ。その真実を理解する前に、卑しんで打ち捨てないでほしい(Lucr. 1.52-53)。 *2 ①次から次と(芋づる式に)例証事例が理解され、秘匿され見えないものの全てのピースが徐々にしかし確実に嵌って、そこから真実が引き出される(Lucr. 1.407-409)。  ②分かりにくい事柄を扱うが、それの全てを(人を引き付ける)詩行の魅力を備えたかくも明快な歌とする(Lucr. 1.933-934)。  この伝統的敬神の問題点がアエネーアースの敬神の揺らぎの起点となり、今まさに伝統的敬神と原子論的敬神のいいところ取りで新興のカルターゴーを率いるディードーと共に過ごすことになった同国への漂着で揺らぎのピークを迎えることになる。そして第12巻のラティーヌス王との盟約の誓いで真に回復した敬神を示すときには、弁証法的に再定義された道を示すものとなる。  ルクレーティウスはローマの内戦の不穏な世情を嘆き、平和の到来を希求しつつも、女神ウェヌスに祈願する他はなかった。戦争の根本原因である強欲を脱し、精神の浄化を果たした原子論の賢者は、現実の戦争のやまない汚れた人間社会に関与することを強欲にまみれることとして退け、火中の栗を拾わない。この点が、ウェルギリウスにとって弁証法的に否定されるべき問題点であったろう。  ローマの平和は、アエネーアースが労苦と迷いの中で自己変革し切り開いていく道を、イタリア人と混和した子孫らがこれも曲折しつつ歩む約1000年先の成就を待つ必要があった。 以上

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Recitation (Aenēis 2.176-191) and Slides_ 神々と人間とのピエタ―スの未来をかけてユッピテル以下の神々や原子論がうごめき、不安な人間は敬神と迷信の間を行き惑う

《重要な含意と和訳》 〈重要な含意〉神々と人間とのピエタ―スの未来をかけてユッピテル以下の神々や原子論がうごめき、不安な人間は敬神と迷信の間を行き惑う。2.185-188では、その背後に、トロイア滅亡へのユーノーの神意と、それを必須過程としつつもユッピテルの定める将来のローマ人のピエタ―スの様が主韻律で暗示されている。  また、道具にさえ神威を与えてすがる伝統的敬神の人間性ゆえに、その道具が神本体の意向を離れて人間界を一人歩きするという矛盾が現れる。そして、それは道具を替えて連鎖する:パッラディウムの次は巨大木馬(誰であれ所有し崇拝する者を支配者に)。 〈和訳〉  【2.176 (この時は、自分事でもあり、預言者ここにありとばかり)直ちに神託を「(戦場を放棄し)逃げるその早さをもって、海原に挑まなければならない」と告げるカルカース。】 【2.177 (彼自身の見解で)ギリシア人は(このままでは)武力を振るってもトロイアの城塞ペルガマを破壊することはできないだろう(から)と、】 【2.178 もしも、彼らが(女神本体がパッラディウムを操って告げた)予兆の示唆の数々を、ギリシアにて(彼らの行動で)なぞり返さない限り、そうして(女神の)神意たるパッラディウム(すなわち、親ギリシアの女神の意を体するように、ギリシア本土での儀式で、その守護神に変えた偶像)を再び(トロイアの戦場へ)引き戻さない限りは。】 【2.179 そして彼らは、その女神の神意(に変わるべきパッラディウム)を、海路と(両端の)反った(高速軍)船で、(あなた方が実際、彼らのもぬけの陣営を見たように)彼ら自身を運び去るその同行者として、(トロイアから既に)持ち去ってしまったのだ。】 【2.180 そして今や、(カルカースの神託に従った)彼らは風に乗って父祖のミュケーナエへ行き終えて、そこにいるがゆえに、】 【2.181 兵力と神々を(再出発の)連れとして招集しているのだ。そうして大海をたどりなおして、 (女神の声:さてもギリシア人よ、今度こそ調子に乗って私の神威を損なうなよ[1.39-45]])】 【2.182 彼らは不意に現れることになる。このように、(目の当たりにした)予兆の数々を、カルカースは、読み解くのです。】 【2.183 (さて)これは、(予兆の示したトロイア脱出と航海の加護を祈願して)、(トロイアで女神の偶像に犯した罪をそのトロイアで)償うために、言い換えれば(偶像への不敬神によって)損なわれた(女神本体の)神性の償いのために、(これが神々の意思にかなう供物だとの、カルカースの)助言を受けて、彼らが、】 【2.184 建立した(馬の木)像です。それが災いをもたらす不敬神を清めるだろうと期待して。(※航海の安全を支配するネプトゥーヌスの神獣の馬であり、トロイアに欺かれその神罰に力を振るう海神と女神パッラスの連合の象徴たる木馬)】 【2.185 しかし、この構造物を、カルカースは巨大に建立するように、】 【2.186 (そのために骨格には硬い)オークの木を組んで、いわば、天へそびえるように建てよと命じたのです。(※ユーノーの響きあり)】 【2.187 そのねらいは、(この巨大木馬が、いずれかの)城門から迎え入れられること、あるいは、城壁の内側へ引き入れられることが、不可能なようにということでした。】 【2.188 言い換えれば、(神罰と引き換えにパッラディウムの偶像の矛盾を解消できたにも関わらず、またもや)古式ゆかしい神々と人間の宗教的関係の下で、(パッラディウムと同じように、その偶像を所有し崇拝する)民族が(神本体の意思によらず、偶像が持つに至った力によって)保護されえないようにです。 〈あるいは、(原子論の合理的)民が、いにしえの神々に眺め下されるだけ(で何ら神々の怒りの関与がおこらない、当の合理の民も調査と解明に励んで城内引き入れはしない)ということの起こりえないように(、言い換えれば、解釈のしようのない[Lucr. 5.1194-1216]巨大な事物に驚愕し合理の民が理性を失い、神々への畏怖の念に負けて、奉ろうと城内に引き入れてしまうように)〉 〈そして、ひいては、いにしえの神の教えの下で(自ら進んで己を律する)民が(やがて生まれて)見守られることが起こるように〉】 【2.189 また一方、もしもあなた方の手一本でも、(不敬神と神罰に悔いた証たる)パッラス・ミネルウァへの奉納物を毀損したら、】 【2.190 その時(最初の神罰をはるかに超える)、大いなる破滅が起こるだろう、(しかし神々の怒りはなぜ二重基準なのか)そういう凶兆こそ神々は、(今からでも誰)より先にまさにあいつに振り向けるべきなのだ、 〈ルクレーティウスならこう言うだろう。それを神々は、まさに(神々の怒りの関与の証たる)「破滅の予兆」そのものへ、何より先に振り向けたいはずなのに(晴朗を旨とする神々はこの世に関与しないのだから〉】 【2.191 (つまり)プリアムスの領土とトロイア人に(とのカルカースの宣託)です。 (このように、神々にとって人間たちの命は軽い。神々は人間の運命を、安全な高みから眺めて楽しんでいるのか。それが幸運の希望と引き換えに人間が自ら生み出し陥る相互授受の儀式宗教の業なのか)】 《『アエネーイス』2.188にルクレーティウスを読み取ることの補足説明》 1.トロイア滅亡に言及するルクレーティウス  ルクレーティウスは、空虚と物資のほかには、独立した存在はないとLucr. 1.449-482で説く。その一例で「~したことが『ある』」という場合、「ある」のは独立した存在物ではなく「事件」と呼ぶべきものであり、その事件を起こした物質と場所(空間)がなければ、その事件も起こらなかっただろうと説明する。  そのような事件の一つとして、「木馬が夜に、トロイア人に気付かれぬまま、ギリシア人達を産み落としてペルガマを炎上させることも起こらなかっただろう」という例をLucr. 1.476-477に挙げている。 →このペルガマ炎上「事件」における「物質」と「場所(空間)」は、それぞれ「木馬」と「ペルガマの城内(空間)」であろうと思われる。  このことを2.188に関連させるならば、「『木馬』が『ペルガマ城内』という場所(空間)を得なかったならばペルガマ炎上は起こらなかっただろう」という意味合いになるだろう。 2.ルクレーティウスの「神々-人間関係(敬神の有り様)」を2.188に反映させた和訳の実際 (1) 2.185-188の段の論理構造  2.185-186 命令:木馬を天に向かってそびえるよう巨大に建立せよ  2.187 目的①:(木馬が)城内へ引き込まれないため  2.188 目的②:または(neu=nē+ve)、~しないため (2) 和訳 1) 表層にあるホメーロス的「神々-人間関係」に基づく場合  2.188 目的②:または(目的①をより詳しく言い換えれば)、いにしえからの「神々-人間関係」へ服属する民族が、(従順に木馬を城内の聖域で崇拝し、それを受けた神々の恩寵で)保護されるということ(すなわちトロイアが存続すること)、それが起こらないように →命令を遂行せよ:(物理的に城内へ搬入できないほどに)木馬を巨大に建立せよ 2) 一段下層にあるルクレーティウスの原子論的必然性を持つ、真の「神々-人間関係」に基づく場合  2.188 目的②:または(逆に)、いにしえからの(すなわち永遠の過去から実はそのようであった真の)「神々-人間関係」の下で、(真の敬神の)民族が、(自らは合理精神から怪しげな木馬を城内へ引き込むことはせず、ましてや崇拝することもしない、他方、世界に関与しない真の神々の下では、怒りの神罰が下されることなど決してなく、何が起ころうとただ神々に)眺められるだけということ(すなわち木馬が城内に無いがゆえに、トロイアが滅亡せず存続すること)、それが起こらないように →命令を遂行せよ:(弱き存在の人間を標的に、合理の民の合理精神さえ揺るがして※1呆けさせ※2、不可思議ゆえの不安を煽り宗教的迷信に回帰する※3に十分なほどに)木馬を巨大に建立せよ ※1:Lucr. 1.102-106に「予言者どもは恐怖で動揺させるような戯言を数多く捏造する」の記述あり。 ※2:A. 2.31に「(巨大な木馬に)ある者達は呆然とする」の記述あり。また、Lucr.2.1040-1041に「新奇な点に圧倒されて精神から理性を吐き出さないようにしてくれたまえ、(鋭い批判を向けて深く洞察するようにしてくれたまえ)」の記述あり。 ※3:Lucr. 5.1194-1216に「解釈の方法がないというのは心を不安に陥れ、ともすれば神々の力ではあるまいかという気を起こす」旨の記述あり。 3) もう一段下層にあり、ウェルギリウスが再定義したユッピテルに託して目指す、ホメーロスおよびルクレーティウスを止揚した「神々-人間関係(A. 7.204※1)」に基づく場合 ※1:A. 7.204 sponte suā veterisque deī sē mōre tenentem. なおこの2.188の意味合いは、シノーンに言わせたユッピテルの心の中でのみ響く。  2.188において、冒頭語「neu」の否定する概念に対応する主韻律部分は、その第2脚から第6脚である。これら全5脚では、2.188と7.204とで主韻律が真逆となっており(2.188: SSDDS, 7.204: DDSDD)、同時に、2.188の「neuで否定される『概念』」は、ホメーロス的であれルクレーティウス的であれ、どちらとも7.204の概念※1とは逆のものである。 ※1:神々と人間の間に、神々からは人間へのcūra (A. 1.1.227)、人間からは神々への崇敬があり、支配・被支配関係ではなく、人間の自主的・自律的な「神々-人間関係」がある。  なお7.204で、ラティーヌス王はラティウムの民の現状を述べたふうだが、実際は、ラティウムでのサートゥルヌス神の黄金時代は人間の強欲と戦争で既に色あせており、王は、現実をあるべき姿に誇張したと考える。このことは、また、ユッピテルが開陳した将来のローマ人と神々との良好な関係(ユッピテルとウェヌスは当然であるが、トロイア人を目の敵にしたユーノーでさえも慈しむ)を示す1.257と1.281の主韻律が7.204と同一であることによっても裏付けられるだろう。この開陳の冒頭行たる1.257(不動の神意)では従韻律も同一である。  さて、7.204を知った後で浮かび上がる2.188の和訳のためには、7.204の「神々-人間関係」を2.188へ「逆転」照射して、2.188を解釈する必要がある。すなわち、neuで否定される「概念」部分の主韻律が真逆(=D/Sの「逆転」)であることにならって、neuで否定される「概念」の場合も、neuで否定される「逆転された『概念』」に変換する。このとき、2.188全体は「概念」の「逆転の否定」となり、すなわち、「概念」そのものとなる。  このような2.188全体の和訳は、以下のようになる。  2.188 目的②:または(どちらの場合とも逆に)、いにしえからの「神々-人間関係」の下ある、(ウェルギリウス的に新たな段階へ脱皮した敬神を持つ、将来誕生するべきローマ)民族が、(このローマ民族は自主的・自律的な敬神の民であるがゆえに、彼らは世界の統治を神々にゆだねられつつも、神々に)見守られているということ(すなわち木馬が城内に引き込まれ、トロイアが滅亡し、やがてローマ民族が誕生すること)、それが「起こる(=起こらないことのない)」ように →命令を遂行せよ:(トロイア人の精神の合理的部分さえ揺るがして呆けさせ、不可思議ゆえの不安を煽って宗教的迷信に深くはまり込ませ、物理的困難を乗り越えて何としても木馬を城内に引き込もうとするに十分なほど)木馬を巨大に建立せよ 以上

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Recitation (Aenēis 2.160-175) and Slides_偶像に付与した神威が神本体の障害となる矛盾

《重要な含意と和訳》 〈重要な含意〉  個々の人間やその社会に不条理な苦痛をもたらす宗教を、唯物論視点から根本的に否定するルクレーティウスにとって、この段の「宗教的矛盾」を素直に受け入れるトロイア人のあつい信仰心は噴飯ものであろう。ウェルギリウスの、旧弊を脱する信仰(敬神)のための「無償の愛」の視点においても、ここにあるような「対価」を求める契約概念の正義や信義は、そこへ到達するために必要ではあるがそれだけでは十分でない、いわば、さらなる脱皮の前段階の位置付けであろう。  この段での「宗教的矛盾」とは、パッラディウムは女神パッラスの似姿にすぎないにもかかわらず、女神本体より力を持ったことである。つまり、女神本体はトロイアの滅亡を目指しているにもかかわらず、パッラディウムが所有者トロイアに不落の運命を授けていることである。しかも、パッラディウムをギリシア人が奪取して女神本体の意思の障害を取り除こうとする中で(恐らくこれはパッラス自身が邪魔となるパッラディウムの所有をギリシア人に移そうとした意思を反映するだろう)、図らずも、偶像パッラディウムを血で汚してしまったギリシア人から離反しなければならなくなる。本来は、離反するかしないかは女神本体の総合的判断で決まるのであろうが、ここではたとえ偶像であっても旧来の宗教の価値体系上、不敬神な行為には神罰が必須であり、偶像の状況に本体の判断と行動の支配される状況が生まれている。 〈和訳〉 【2.160 さあ(かくなるうえは)、汝は約束の数々を守らなければならない、そして(既に)自らを存続させたも同然であるからには、それをも存続させなければなるまい、】 【2.161 トロイアよ、すなわち(私との)信義を。もしも私が真実の数々を知らしめ、もしも私が(その約束の数々を)大いなる価値を持つ(その真実の)数々で釣り合わせる(と期待する)なら。】 【2.162 戦争を始めた時から(ずっと)、ギリシア人の希望と自信は、(勝ちそうになっては元に戻される繰り返しながらも)全体として見れば、】 【2.163(ことある毎に)女神パッラス(本人)の援助に依存してきました、いつでも。(この時も)彼の不敬な者が(そうして)以来、】 【2.164 しかし実際は(あの女神ウェヌスを槍で傷つけた一大不敬神もパッラスのそそのかしだったように、今回も)テューディーデースが(「それ」のトロイア保護を嫌うパッラスのそそのかしを受けて)、加えて、悪行の数々の考案者たるウリクセースが、】 【2.165 (ユッピテルが是とした所有者安寧の)運命を授ける「それ」を、(トロイア人がパッラスに祈願し最大限の供物をささげる)聖なる神殿から奪い取ろうと企てた。】 【2.166 「それ」とは(女神パッラスの小さな木像)パッラディウムです。(彼らは城内に侵入して)、城塞の頂上の(神殿の)見張り番を殺害した。】 (皮肉なことに、女神自身の単なる似姿でありながら、いまや女神本体の意に反して所有者トロイア人を守護する。神を称え恐れるほどに、その大道具・小道具の隅々にまで神の力が宿り粗末にできないと人間は恐れる。それゆえに、神本体の意向とは無縁に、大道具・小道具に敬神の儀礼を尽くし、もって神本体の行動を引き寄せようとする。偶像崇拝および相互授受の契約宗教の限界と、必然的な自己矛盾が現れているが、そのばかばかしさはルクレーティウス視点によって初めて明らかになる。) 【2.167 そうして(遂に)、その聖なる像を強奪した。しかしその時、血に染まった手で、】 【2.168 (愛欲のウェヌスと対極・敵対する)処女神の(偶像の一部ながらも)、その聖なる飾りリボンに触れて血でけがしてしまうほどに、彼らは大胆に振舞ってしまった。(人間の常なる過ちが彼らにも現れ、上首尾に調子に乗り過ぎたのだ)】 (この事態でも、単なる偶像は女神本体を支配する。似姿への不敬な振る舞いは本体へのそれに等しいがゆえに、女神は望むと望まざるとによらず、ギリシア人に神罰を与えなければならない。このように形骸と内実の乖離した神々と人間の関係をルクレーティウスならば、蒙昧のもたらす神々の誤解と過てる敬神の行き詰まりの姿と断ずるのであろう。) 【2.169 この時(パッラディウムは女神の神罰必定を悟らせ、その)瞬間から(たちまちのうちに)、「それ」は滑り落ちて行き、消え、言い換えれば(しぼんで)元に戻ってしまいました、】 【2.170 すなわち、ギリシア人(が抱いた)希望が、です。彼らの(一時盛り上がった)勢いはくじかれてしまいました。女神は離れてしまったと、(像は手に入っても本体のその魂の中の魂たる)心が。】 【2.171 (だが女神の本心は違った。)明々白々の前兆で、トリートーン川の(ほとりでユッピテルの頭を脱し完全武装で鬨の声を上げた)パッラスは、女神本体からの次のような(本心を察知する)ヒントを授けたのです。】 【2.172 ほとんど、その像が(ギリシア勢の)陣地に安置されたかどうかのうちに、ゆらめく「それら」が燃え上がりました、(今にして思えば、トロイアの炎上を暗示するかのように)、】 【2.173 (我らに目を合わせ)見上げるその両眼から、炎が。さらに全身から塩辛い】 【2.174 汗が流れました(今にして思えば、波しぶきを立て故国へ向かえ、そこで、血で汚された全身を洗い清めよと暗示するかのように)。そうして、3度、ひとりでに、(今や女神が支配するがゆえに、パッラディウムというよりは)女神自身(というべきその像)が床から(語るも不思議なことに)】 【2.175 跳び上がったのです、盾と槍を持ちながら(今にして思えば武器を携えて土地を3度離れよと暗示するかのように)。そうして(3度目の)着地後、その槍は揺れ(続け)ていました(今にして思えば、女神も武器を取る最終決戦を暗示するかのように)。】 《注目すべき韻律(内容と形式の一致)》 (1)《「DS」5連続+「DD」締め》構造を持つ連続2行の内容との呼応 「DSDSDS+DSDSDD」の主韻律の連続を持つ2行は、第1巻から第2巻のここまでで次の3事例しかない:1.259-260、1.320-321、1.668-669。これらは、それぞれ、ユッピテルからウェヌスへのアエネーアースの良い運命の不動であることの訴求、狩人姿の乙女に変身しアエネーアース等に呼びかけるウェヌスの訴求力に満ちた様、アエネーアースのユーノーによる不当な苦しみを彼の兄弟神アモルへ訴求する様である。いずれも、聞く者の心を「D」で押し、「S」で引く、「DS」の5連続で揺さぶり、最後を「DD」の畳み掛けで締めて、訴求効果を高めている。  同様の揺さぶりと畳み掛けで、2.160-161では、情報と引き換えの身柄保全の確約を訴求し、また、2.174-175でも、怪異現象の連発が読み解くべき神意を訴求している。  なお従韻律では、2.160から161が「P的→A的」の推移であり、2.174から175が「A的→P的」と逆の推移であるが、これは、それらの示唆するところが、前者の共存共栄に対して後者は決戦であるためと考える。  加えて2.161では、2つの「sī」が「但し...」のニュンスで人を動揺させるが、その「sī」がそれを含む第2と第4の脚で、主韻律を「S」に従韻律を「P」にする。他の脚の主・従韻律の組み合わせは「D」と「S」であるだけに、第2脚と第4脚の相違が際立ち、「sī」のニュアンスを強調している。 (2)「SDSSDS=SDS+SDS」の主韻律がつなぐ2行の共通内容   事態の序破急は、化学反応の「基底1→活性→基底2」という状態変化に類似し、一方で、「S:静」と「D:動」の含意ゆえに、「S→D→S」という韻律変化にも呼応するであろう。  ここから考えると「SDSSDS」の詩行には2つの事態の包含が期待され、実際、1.1-2.175の範囲に現れる全48事例では概ねそのようである。  さて、事態の推移の特殊な場合に、始まって元に戻る場合(基底1=基底2)がある。2.169がまさにその場合であり、2.169から2.162をこの視点で振り返れば、攻めては勝ちきれずに常に膠着状態に戻ってきた、ここまでのトロイア戦争の10年間が浮かび上がる。パッラスの援助は各攻勢を支えるものであったが、トロイア守護神のパッラディウム像ゆえに勝ちきれない。  それゆえに、シノーンの語りは、この直後から、膠着の根本原因であるパッラディウム強奪へと、自然に流れて行くことになるのだろう。 (3)2.163-168の起伏のある展開と呼応する韻律のダイナミックな推移 個別の特徴的な韻律だけでなく、「内容と韻律形式の一致」には詩行群としての推移の一致もある。  2.163-168はその事例であり、上記グラフに示すように、トロイア戦争の膠着を破ろうとする起伏のある内容とダイナミックな韻律推移(SSSSDSからDDDDDSまで)が呼応している。 (4)「DDDSDS」の主韻律が示唆する「均衡の崩壊」  2.171が前後の長文同士を、1行1文1韻律で、「パッラスが予兆を示した」と意味ありげに繋いでいる。そのとき、主韻律は「DDDSDS」という「均衡の崩壊」を含意すると思われる特異韻律である。この崩壊の含意は、この韻律が、1.239に典型的に表れているように、禍福のような対極にあるものが、天秤の左の「SSS」と右の「DDD」で対峙しつつ均衡するかのような、「SSSDDD」の真逆であることに起因する。  さて、何の「均衡」の今後の崩壊を含意するのか。直ちに浮かぶのは、神々の支援を含めた「力」の、ギリシア勢とトロイア勢の「均衡」である。10年戦争の最終決着が近づいている。  そして親ギリシア勢のパッラスがそこに踏み込むのは、彼等に禊ぎを求めるものの、トロイアを守護してきた自身の偶像が今度はギリシア勢陣営に安置されて、両勢力間で二分されて来た(均衡させられて来た)自身の神威を100%自身で制御できるようになった(均衡の崩壊)からではないかと考える。 (5)2.165と2.167の主韻律がほぼ真逆である意味  パッラディウム強奪において、2.165の「発案」と2.167の「実行と成功」という段階の対称性が、第1脚から第4脚まで逆の主韻律に現れていると考える。  第6脚が2.167でも「S」であるのは、それまでの「成功裏の実行」というニュアンスを一変させる「致命的過失」たる「血濡れた手で(触る)」という文意を含んでいるためであろう。  加えて、2.165が最高度に「S」的で、一方の2.167が高度に「D」的であることは、2.165の極秘計画の「深く沈潜した様」と、2.167の殺戮・強奪現場の「活劇の様」との対比として、好適な韻律選択であると思われる。 (6)2.160と2.170における従韻律破格「P」の意味  2.160の第5脚の破格を担う「servātaque」は完了分詞であり、動詞「servō」以前に起こったことをさすはずであるが、実際の順序は逆である。本来は未来分詞で表現すべきところであろう。しかし、100%確実な未来というニュンスがこの過去のことのように表現する用法で示される:「トロイアよ、お前は既に維持された(も同然だ。だから今度はお前が[信義を]維持せよ)」。この修辞法を従韻律の破格がさらに際立たせている。  2.170では、第6脚の破格を担う「mens(心)」がある種のニュアンスを醸し出し、「āversa(離反) deae mens」が文字通りに「ギリシア人から離反した女神の心」ではなく、本来「親」ギリシア「嫌」トロイアの女神パッラスの本心は別にあることをにおわせるようである。そうであればこそ、続く行2.171での女神の「signa(印)」には、ギリシア人予言者がギリシア人のために読み解くべき、女神の神意たる真意が秘められていると考える。 以上

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Recitation(A. 1.1-11)_《韻律なくして真実なし ウェルギリウス『アエネーイス』 第1巻の「内容と韻律形式の一致」》における「音的な2種類の効果」の聞き比べ

朗読(1)通常の朗読をする場合 長所1:語のアクセントが本来の位置であり、語と文意の聞き取りが自然 長所2:主韻律に加え従韻律が表現を多彩にする 短所:「音量体系の黄金期ラテン語」のノン・ネイティブには母音の長短で刻むリズム感がないため、リズムそのものや各脚の開始部・区切りが分からない 朗読(2)Scanning Reading をする場合 長所1:ictus位置[=脚開始部]に語のアクセントを変更し脚の識別性を高めるがゆえに、「音量体系の黄金期ラテン語のノン・ネイティブ」にとって、長/短のリズムをアクセントの有/無のリズムに変換した近似物ながらも、ヘクサメテルの体感と暗記が容易になる 短所1:語のアクセントが本来の位置からずれるため、語と文意の聞き取りが難しくなる 短所2:従韻律が常に「AAAAAA」で固定され、主韻律のみの変化となる ※物理的な音による強調があって初めてictusではないかという考えがあろう。その強調手段がアクセントではないかと。しかし、西洋音楽の強拍と弱拍において、その強・弱は心理的なものであって必ずしも実際の演奏上のものではないように、ヘクサメテルの朗読を、ヘクサメテル特有の決め事の理解と共に聞いている「音量体系の黄金期ラテン語」のネイティブにとって、ictusの音節は、「長い」音節という長・短によるリズム言語における存在感の【強さ】と、脚の「冒頭」に出現するがゆえの存在感の【強さ(*)】とを既に保有しているのである。(*ヘクサメテルをヘクサメテルたらしめ、イアンブス等と識別させる特徴) ※「音量体系の黄金期ラテン語」のネイティブは、耳に届いた母音の長短の連鎖を無意識的に把握しており、長・短・短あるいは長・長が何回繰り返されたか、今は何回目のどこの母音が聞こえているかが、感覚として分かるのだと考える。それゆえに通常の朗読の聞き取りを通して、自然にヘクサメテルのリズムを体感するであろう。実際、モールス信号の交信者は、音の長・短のみが変化する信号音の連鎖で意思疎通するのである。  別の例えをすると、日本人ならば、音節の数のリズム感に基づいて、「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」という俳句を、たとえ一息で連続的に発声された音の連鎖として聞いたとしても、自然に「ふるいけや|かわずとびこむ|みずのおと」という575の区切りを内包する何かしら心地よい音の連鎖として感知するだろう。一方、音節の数のリズム感を持たないノン・ネイティブが、区切りを感知するために「【ふ】るいけや【か】わずとびこむ【み】ずのおと」のように、575の区切りの最初の音節に語のアクセントを変更して発声したならば、確かに区切りは明瞭になるものの、変更されたアクセント位置の語の頻出は、ネイティブにとっての俳句全体の響きと静謐な味わいを阻害するようなものかもしれない。 朗読(3)通常の朗読時に、適宜、手拍子(ictus位置)の伴奏で盛り上げる場合 長所:音声は通常朗読に専従し、それ以外の音源でictus位置が強調されるため、朗読(1)の長所を損なうことなく、「音量体系の黄金期ラテン語」のノン・ネイティブが本来のヘクサメテルのリズムを体感し易くなる 短所:手拍子が頻出すると朗読の聞き取りと味わいを妨げる (なお、聞き手側が音の出ない爪先タップを続け、ictus位置を持続的に確認することは本来のリズム感の涵養に資するかもしれない) ※手拍子部の1.8-11は4行中3行で人の心を揺さぶるような「DSDSDS」の同一主韻律が占めるため、手拍子による盛り上げに適すると考えた 参考資料:Andrew S. Becker, Virginia Tech, Non oculis sed auribus: the ancient schoolroom and learning to hear the Latin hexameter, CPL Forum Online 1.1, Fall 2004 https://camws.org/cpl/cplonline/files/BeckercplFORUMonline.pdf

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