Veneris die 29 mensis Martii 2024

ACROAMATA LATINA

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t. miura

Recitationes latinae



Recitation (Aenēis 2.281-297) and Slides_ヘクトルからアエネーアースへ担手交代_人間社会を根本から再生するため古い社会を滅しその本性「敬神」を担手と共に切出す

【重要な含意】 (1)期待していた者の来訪を受けた時(2.270-286)、湧いてきた感情は喜びか当惑か―第6巻(6.684-688)との対比:内容及び主韻律から第6巻が喜びであり、第2巻では当惑である。 1)内容から  6.690-691にはアンキーセースがこのような来訪を思い描き導いてきたこと、そしてそのcūra(世話、心配)が裏切られなかったことが語られており、それゆえに、688-689の「アエネーアースの顔を見て声を聞くこと」が、喜びになるのだと分かる。また、言葉より先に、アンキーセースが両手を差し伸べたり(6.685)、滂沱の涙があふれる(6.686)というような体の反応が無意識に起こっていることは、喜びの抑えきれないほどの大きさを表現している。  対照的に第2巻では、相手を迎える表敬の言動として、2.281でアエネーアースはヘクトルの生前の栄光を、涙(2.279)と悲しみをたたえた口調で(2.280)称讃するのであるが、これらはヘクトルの痛ましい様相をしばし観察した後のことである。この涙と発話の遅れは当惑がもたらしたものであろう。また、生前のヘクトルの称讃内容は、霊となったヘクトルの否定的事態が心に引っかかっていることの反映と考える。「そのように立派な」ヘクトルが「遅れたこと」および「傷だらけであること」から否定的感情が湧いているのである。 2)韻律から  両場面ともに最重要点は「期待して待っていた者の到着」であり、第2巻では2.282-283に、第6巻では6.687-688に現れている。その箇所の主韻律をみると①「前者2.283のSDSSDDと、後者6.688のDSDDDSは互いに真逆の関係」にある。また、②「2.282のSDDDDSは、第6巻当該場面の代表たる冒頭行6.684のDSSSDDと真逆」である。①と②において内容と韻律形式の一致が認められる。 (2)2.270-297の段の主題  この段では、例えば下記のキアスムス主韻律の含意に担われるように「トロイアのためから人類のためへの質的飛躍を伴った、ヘクトルからアエネーアースへの守護神(より根本的には至高神ユッピテルの神意)の担い手交代」が主題であると考える。  「2.281(ヘクトルよ)」と「2.293(アエネーアースに)」の主韻律はキアスムスをなすが、これは、トロイアの命運の担い手とそのあり様が、事態推移の反転を伴った起結関係をとることと呼応するものである。  すなわち、2.281の死したヘクトルへの称讃の呼びかけは、彼が「トロイアの命運を担う第一の勇士」だったこと、さらにはトロイアが、この地の河神の子たるテウケルの血族の王国であり、かつ、イタリアに発したダルダヌス(ユッピテルの子)がこの地に来てテウケルの娘と結婚し創建した王国であることを背景に持つ。  一方、2.293では、滅亡するトロイアがその守護神と聖具をアエネーアースに託すのである。アエネーアースが新たに「トロイアの命運を担う勇士」となり、トロイアを創建したダルダヌスの発したイタリアへ帰還し、その地を治めた神々の子孫と結婚して(ダルダヌスに類似)、新たに創建する都(ラーウィーニウム)にトロイアの守護神を導き入れることになる(2.294-295)。  この歴史的転換は、ダルダヌスの血筋にとって、「やって来た」アジアの地での【トロイア人としての死滅】に向かう最後の一歩を「起」とし、始祖の地イタリアに「帰還し」新たに創る【ローマ人としての浄化と生まれ変わり】への最初の一歩を「結」とする起結関係があり、そこには事態推移の方向の反転を伴っている。また、第6巻をふまえると、より上位概念的に「死滅(地上界から冥界へ)→浄化と生まれ変わり(冥界から地上界へ)」という魂の行方の「反転」がある。  この魂の行方の俯瞰図は、第6巻の冥界で示される「個人の記憶の器としては滅すると同時に、高天の純粋な種子(原子)としては不滅である魂が、冥界で浄化され約1000年後に地上の新たな個人に生まれ変わる」という(伝統的宗教と原子論を統合したウェルギリウスの)真理が、至高神ユッピテルの長期ビジョンとして、ダルダヌスの血筋(ユッピテルの血筋)において展開するかのようだ。 (3)敬神なるアエネーアースの落人化とルクレーティウスの関係  ルクレーティウスがLucr. 1.449-482において、原子と空虚の「属性(conjunctum)」ではなくそれらの派生物である「出来事(ēventum)」の代表として例示している「トロイア(人)の滅亡」と、「属性」を切り離すには事物の死滅的損壊が必要だとする主張とを結びつけて、ウェルギリウスが自分の目的へ向けて新たな枠組みを作ったのではないかと思われる。  ウェルギリウスにとって、人間社会の属性(それ無くしては当該事物が当該事物ではなくなる本質的性質)は「敬神」であり、「敬神」を人間社会から切り離すには、人間社会の(トロイアの)死滅的損壊が必要である。そこで、約1000年後の新たな時代の人類全体の社会に必要な新たな「敬神」の種子を、至高の敬神を備えたアエネーアースとして切り離すという枠組みが生み出されたと考える。これによって、伝統的敬神とルクレーティウス的真の敬神とを統合したウェルギリウスの新たな敬神が可能となる。  約1000年後の人類全体のために滅びる一つの民族は、その俯瞰的視点からは、シノーンがギリシア軍全体のために一人いけにえに捧げられた伝統的敬神に似るが、滅びるトロイア人の眼前の状況からは、アエネーアース一人を生かすために全トロイア人がいけにえに捧げられたのであり、伝統的敬神と真逆になっているところが弁証法的に感じられる。  (4)「夢の中での亡霊との出会い」という事象:                 1/4  アエネーアースに体験させるウェルギリウスと「simulācra」理論で説明するルクレーティウスとの関係    ルクレーティウスは、死後の魂も冥界も存在しないことを繰り返し強調することによって、人間を強欲に追い込む元凶である死の恐怖と、それを基盤として怒りと好意で束縛する伝統的宗教や神々から解放しようとする。一方のウェルギリウスは、ルクレーティウスによる伝統的な「宗教や神々-人間関係」の批判を是認しつつ、神々-人間関係の再定義により新たな敬神の精神文化を用意しようとしていると理解する。そうであれば、「夢の中での亡霊との出会い」が人間の錯覚に過ぎないとする「simulācra」理論は神々の人間への関与に否定に直結するがゆえに、第2巻での当該エピソードをウェルギリウスがどのような理屈で描くのかは重要事項である。  結論的には、ウェルギリウスからルクレーティウスへ、次のような応答があるのではないかと考える。  ウェルギリウス: simulācra理論は人間の感覚・知覚の多くを説明するが万能ではない。それは、夢を見る当人が全く見たことも聞いたことも想像したこともない事象を夢に「見る」ことは不可能だろうということである。その良い事例は「未来に実際に起こる出来事」である。間近に迫る「ペルガマ炎上」は、ルクレーティウスよ、あなた自身が実際に起こった出来事として紹介している。「未来に実際に起こる出来事」を人間に夢で伝えられるのは、1000年単位の神意を当然とするような、長期のビジョンを持つ至高神ユッピテルが重要な案件には関与しているからにほかならない。 【和訳】 【2.281 おー、ダルダヌスの国の光よ、おー、テウケルの(信義の)子孫の中でも、誰よりも信義にあつく頼りとされた(、我らの)希望(を担った勇士)よ、】 ※神話的背景を承知していたローマの読み手/聞き手には次の[ ]内に補足した内容も響いたかもしれない。 【2.281 おー、[高天のユッピテルの子としてイタリアより来たる]ダルダヌスの創建したこの国を[その血筋を担い]照らした光、おー、[この地の河の神の子]テウケルの[血をも引く] (信義の)子孫らの中でも、誰よりも信義にあつく頼りとされた(、我らの)希望(を担った勇士)よ、】 【2.282 こんなにも手遅れになるほどに、何が障害だったのだ? ヘクトルよ、(一体)どのような経路をたどって】 【2.283 あなたは到着したところなのか?(きっと夢のお告げで我らを勝利へ導いてくれるはずだと)あなたは待ち望まれていたのだ。(その)あなたを、あなたの身内の多くが】 【2.284 死んだその葬儀の後で、つまり、(トロイアの)人間たちや都の様々な苦難の後で、】 【2.285 (今ようやく)見ているとは!しかも、(もはや勝利のお告げの要らない、平和と繁栄の時代が、逃げた敵と神威の木馬でまさに到来し、その木馬の祝いの直後で)疲れ切った我々が、なのだ!(なんという巡り合わせ!これは木馬の早々の好意なのか?しかし、なぜその痛ましい姿で、嘆いているのか?あなたへの好意の代償がこれなのか?ならば、神々は、トロイア第一の武勇の者の)晴朗で憂いのないそれに、いかなる不当な口実で、】 【2.286 つまりその容貌に傷の辱めを負わせたのだろう?(さらには、そのことの、私への意味は何か?)これらの(実際には見たことのない)傷の数々を、なぜ私は(夢とは思えないほど鮮明に)見分けるのだろう? (はたまた、これは冥界の象牙の門から霊が送る偽りの夢なのか?あるいは、実のところ死後には魂も冥界も存在せず、私は単に過去の事物からのsimulācraを見ているだけなのか?)】 【2.287 (一方、ヘクトルの霊は、やがてウリクセースが出会う冥界のギリシアの将軍らとは違い、死者となった嘆きを生者にかき口説きはしない。そうではなく、ユッピテルにお告げを託された)彼は、決して私の詮なき追及にかかずらって遅れることはなく、】 【2.288 胸の奥から、(じくじたる思いのこもる)重いうめきとともに声を発して、】 【2.289 「ああ、逃げよ、女神の子よ。」と告げる、「(破滅の)炎からお前自身を救い出せ。】 【2.290 敵が(ぐるりの)城壁を押さえている。トロイアは高き頂上から(奈落へ真っ逆さまに)崩れ落ちる。】 【2.291  (この眠りが最後の贈り物だったのだ。神々にとって)十分なものは(既に)祖国とプリアムスに与えられ終えた。もしもペルガマが(人間の)右腕で】 【2.292 守り抜ける(とユッピテルが定めている)なら、そうとも、(トロイア第一の)この右腕で(艦隊に火を投じて攻め込んだあの時から既に、ギリシア軍は撃退されて)ペルガマは守り抜かれたものとして(ここに)存立していたであろう。】 【2.293 トロイアは、神聖なる祭具と自身の守護神をお前にゆだねる。】 【2.294 これらを神意による道連れとして受け取れ、そしてこれらの(安置の)ために城市を探し求めよ、】 【2.295 大いなるそれを。お前は、(それを求めて)大海を迷いつくすだろう。しかし最後には、それを確固と立てることになる。」】 【2.296 このように言い終えた。そうして(場所が変わって)、両手で、神聖な飾りリボン(を髪に巻いたペナーテース像[3.174])と、強い神威を持つ、ウェスタの炉の聖火を、】 【2.297 永遠の火であるそれを、(このアンキーセースの館へ、ウェスタ神殿の)奥の至聖所から運び出す(姿を私に見せる)。】 以上

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Recitation (Aenēis 2.268-282) and Slides_冒頭2行の3層構造:表層のトロイア人・中層のユーノー・深層のユッピテル(この至高神からLucr. 6.1-8へ)

〖重要な含意と和訳〗 【重要な含意】 〈Tempus eratのこと〉 ルクレーティウスはLucr. 1.449-482で、「他のものは物質(原子)と空虚の属性から生ずる結果であり事件と呼ぶことがふさわしい」とし、決して事件を第3の本質的存在と誤解してはいけないとくぎを刺す。そのような誤解を招きやすい事例として挙げているのが「時間」と「トロイア戦争」である。  時間も事件の推移と共に感知されるものであり、独立的存在ではないとする文言は「Lucr. 1.459 tempus item per se non est」であって、「A. 2.268 Tempus erat」との呼応を見出しうる。また、事件の事例がトロイア戦争であり、とりわけ「トロイア人の気付かぬうちに、木馬がギリシア人を放ってペルガマを炎上させる[Lucr. 1.476-477]」という事件が紹介されていることは、そのペルガマ炎上の「事件が進行する時間」について語るA. 2.268との接点がここにある。  ウェルギリウスが2.268を「Tempus erat」で始めるとき、ルクレーティウスの時間の解釈を踏まえているものと考える。それは、「tempus erat quō」は一般的な語法のように思えるが『アエネーイス』ではこの箇所にしか現れていないこと、同様に『事物の本性について』においてもLucr. 1.459にしか現れないからである。このとき、「Lucr. 462-463 事物の運「動」(mōtū)と「静」かな安らぎ(placidā 『quiēte』) から切り離して時間そのものを感知することはできない」における「動と静」の対照と、城市内に侵入したギリシア人の策「動」とトロイア人の「A. 2.268 Tempus erat quō prīma 『quiēs(休息/平「静」)』」における「動と静」の対照の間には、「時間」を巡る連関を感じ取ることができる。  そのように、時間が出来事の推移に依存するとき、時間の支配者は世界の運命の支配者(至高神あるいは自然の摂理)ということになり、その意味で、「2.268 Tempus erat quō」と「Lucr. 1.459 Tempus item per sē nōn est,」を結び付けることは、2.268-269に至高神の神意の存在を含意させることになる。 〈quiēs mortālibus aegrīsのこと〉 2.268のquiēs mortālibus aegrīsの解釈を変えることによって、この冒頭が担う文意は3層に重なる。表層:トロイア人自身の理解(一般論として不死ではない人間にとっての、心地よい疲労からの熟睡)、中層:ユーノーの神意(神々への傲慢をあがなうために死すべきトロイア人たちにとっての、死の永遠の眠り)、深層:ユッピテルの神意(ユーノーの神意を必須の要素として含みつつ、約1000年の長期的神意でローマの平和への歩を進める)。この深層を介してルクレーティウスのLucr. 6.1-8のmortālibus aegrīsとsōlāciaとつながって両詩人の対話が生まれる。 (Lucr. 6.1のaegrīsが、全巻エピローグをなす、疫病のアテーナエ襲撃・病死者の神殿埋め尽くし・人々の伝統的敬神の喪失へつながることは、ホメーロス(正)とルクレーティウス(反)を統合しようとするウェルギリウス(合)の視点からは、新たな敬神を担うローマはカピトーリウムの、ユッピテル・ユーノー・ミネルゥアの三神一組の神への統合に至るユッピテルの、至高神の「正義のけじめ」として、カルターゴーのユーノーの運命にも似て、[A. 1.284-285のユッピテルが語るローマによるギリシア征服の段で、アキッレースとアガメムノーンの地のようには触れられないものの、]木馬の奸計によるトロイア炎上のアテーナ女神への「報い」なのかもしれない。)  なお、続く2.270から登場するヘクトルは、このユッピテルの使者である。 【和訳】 【2.268 次のような(事物の運動と静かな安らぎが織りなす出来事の、これまで・現在・これからの推移として感知されるべき)時間(なるもの)があった。さあ、そこでは、(神々に尽くし喜びの内に)疲れた人間たち(、あるいは はかなくもこの夜に死すべき者たち)のために、(寝入り)初めの深い睡眠が、(あるいは永遠の休息への深い眠りが、はたまた、さらに深いところでは、逃げるべき一人のためにその民族がいけにえ になるという「先のシノーンの伝統的敬神」とは真逆ながら、その一人が今度は全人類のために 死より辛い道を行くという「新たな敬神」へと歩む 至高神ユッピテルの長期的神意が、) 【2.269 始まっている。そして、それは神々からの最も感謝に値する贈り物として、心地よさの極みを持って、(眠りの神は)忍びやかに彼らへはい寄ってゆく(大蛇が見せしめたふうとは反対に)。 【2.270 (そのような至福の)眠りのさなか(至高神からの贈り物として)、見よ!目の前にヘクトルが、(しかも)極まった悲嘆をたたえて、】 【2.271 私の傍らにおり、惜しげもない涙を流しているのが目に入った。  (その様は例えば、やがてウリクセースの冥界で出会う弱々しいアガメムノーンのように、己の運命を悲しむかのように見えた。しかし、なぜか一方では反対に、私の運命への共感と哀惜のようにも思われた。)  (※今にして思えば、トロイア人への無慈悲な神々の計らいを耐え忍ぶ涙だったのかもしれない。ヘクトルは、真実の姿によって私の目を覚まさせ、今しも起こるトロイアと私の受難と運命を悟らせようとしていたのだ。彼は、これまでは地上への関与が許されなかった。しかも最後に許された私へのお告げは、自分や大勢のトロイア人が右腕で命を捨てて守ってきた祖国が、ギリシア人と神々の奸計で焼き滅ぼされてしまうこと、のみならず、この私は亡国の落ち武者となって、アトラースのような世界の重さの「至高の神意」を担うのだということであり、告げる側にとってもつらい状況があったのだ。)】 【2.272 彼はまた、(アキッレースの)二頭立て戦車に(遺体を)引きずってさらわれた「かつて」のように、血に染まった砂塵(まみれ)で黒ずみ、】 【2.273 また両足に(戦車につなぐ)革ひもを通され、そこが腫れ上っていた。】 【2.274 ああ、あれは!(彼は)なんという有様だったことか!―どれほど あのヘクトルから変わり果てていたことか!】 【2.275 あの(、トロイアの勝利を目前にし、)アキッレースの(神授の)武具を奪い身に着けて帰ってくるヘクトルから!】 【2.276 あるいはアルゴスの船々にプリュギアの火を投げつけたヘクトルから―】 【2.277 それというのも、乱れて不潔なあごひげや血で固まった髪の毛、】 【2.278 さらには、あの無数の傷を身に帯びていたのだから。しかもその傷とは、城壁の周辺で(アキッレースに遺体を引きずられて)】 【2.279 (皆が見守る)祖国のそこで(なすすべもなく)受けたもの。)(彼の)対面には(憐憫から)自身もまさにもらい泣きしている自分のそうするのが見えた。】 【2.280 悲しみを帯びた声を出し勇士に話しかける自分が。】 【2.281 おー、ダルダヌスの国の光よ、おー、テウケルの子らが誰よりも頼りにする希望よ、】 ※これはトロイア滅亡後にヘクトルと逆転したアエネーアース自身の新な立場のように響く。実際、この2.281の主韻律は、冥界で心配して待っていたアンキーセースがやって来るアエネーアースを見て喜びのあまりに話しかける6.688「([これは夢ではないだろうな?]とうとうやって来たのだな?期待していたように、)お前の親への敬神が(神意の)道の過酷さに打ち勝ったのだな?お前の顔を見ることが許されて、」の主韻律と強く呼応している。すなわち、前者の「SDSSDD」―2.279, 281, 283と一つ置きに3回出現しここの文脈の象徴―に対して後者は「DSDDDS」と真逆で呼応する。この主韻律の真逆性は、前者の「生者が死者に援助されるために、死者が神々の過酷さに打ち勝って地上へと」来訪する期待に対する、後者の「死者が生者を援助するために、生者が神々の過酷さに打ち勝って冥界へと」来訪する期待の真逆性の反映である。  2.282の遅延と合わせて、カルターゴーでぐずぐずする近未来の彼へ、彼自身の口を借りてユッピテルが予め忠告しているかのようであり、同時にこれからのトロイア人を率いる主役の交代の予示のようでもある。 【2.282 いかなる(事情の)遅延の数々があなたを引き止めていたのか。(※あたかもディードーに深入りするアエネーアース自身への呼びかけのようだ。)ヘクトルよ、いずれの(敵対的神や支配者の)岸辺から(あなたは来ているのか、期待し待たれていた者よ。)】 〖スライドでの考察の目次〗 【ヘクサメテルにおける主韻律のD/S配列と従韻律のA/P配列が示唆する文意の推測---P. 5/21~21/21】 *A. 2.268-269を通してルクレーティウス(Lucr. 6.1-8)と「ユッピテルの長期的神意※」との呼応を読み取ることができる理由---P.5-11/21   ・―連関の図示 ※例えば「A. 1.1-33, 1.264-296」---P.5/21   ・―「概念の枠組みの同一性および細部の対照性」の把握  一覧・拡大版(1/2)・拡大版(2/2)--P.6-8/21   ・―主韻律による内容の連関---P.9-11/21 (3)「DSSSDD」のA. 2.269とA. 1.5, 21、ならびにLucr. 6.3, 7による共有、(4)「SDSSDD」のLucr. 6.8とA. 1.33による共有、(5)「SDSSDS」のLucr. 6.1とA. 1.7との共有 *A. 2.268-269の背後にルクレーティウス(Lucr. 1.418-482)を読み取ることができる理由---P.12-14/21  (1)Lucr. 1.418-482の重要文脈とその意図、およびトロイアの木馬の説話(A. 2.268)との接点  (2)接点の言葉「tempus」の向こうに展開するウェルギリウスの意図  (3)Lucr. 1.418-482の重要文脈「属性と出来事の峻別」を踏まえるウェルギリウスの意図 *詩行群2.270-278「アエネーアースの目に映ったヘクトルの様子」が持つ特徴的韻律構造とその意味---P.15-18/21  1.詩行群2.270-278「アエネーアースの目に映ったヘクトルの様子」が持つ特徴的韻律構造   ※第6巻の冥界の参考情報  2.前記韻律構造の意味   1)キアスムス   2)キアスムスに挟まれた中央部の2連続構造   3)「DDSSDS」の高頻度出現(44%)   4)個々に特徴的な韻律     ・SSDSDD: 対峙する事物/推移する起・結の対照的な様(前半と後半が要素真逆のキアスムス構造)     ・DDSSDS: 全巻冒頭行1.1の主韻律(作品主題と強く連関する)     ・DDDSDS: 「均衡」崩壊の含意(「均衡」を含意するSSSDDDの真逆)     ・SSSSDS: 最大限に「S」的なニュアンス(長・陰・重など)   5)詩行群2.291-293「ヘクトルの宣託の展開部」の全3主韻律を全て共有すること *2.270-278で2.271, 273, 274, 278 と頻出した「DDSSDS」に、キアスムスの「SDSSDD」が2.279, 281で隣接する意味---P.19/21 *2.269と2.282の主韻律が真逆の「DSSSDD」と「SDDDDS」である意味---P.19/21 *「夢の中で超自然的存在が『逃げ』を命ずる」という類型を持つ「2.289 ヘクトルの宣託」に対して、類似の他の事例が補足する含意---P.20-21/21 以上

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Recitation (Aenēis 2.250-267) and Slides_有限宇宙の中の閉小世界は壁の最弱部からcorporaが流出し崩壊する_ゆえに目指すべきローマの平和には時空の果てがない

【「隣接真逆主韻律対」:「内容と韻律形式の一致」の一形態】 (Cf.「韻律なくして真実なし」→ https://twitter.com/quateducitvia)  2.259[SDSDDS]-260[DSDSDD]のような隣接2詩行のあり様を「隣接真逆主韻律対」と呼ぶこととする。1.1から2.267までの出現数は22である(出現率2.15%)。ランダム事象とした場合の出現率は((1/2)^5)^2=0.0977%と実際の1/22である。よって、詩人の意図によって出現したと思われる。  隣接行ゆえに主韻律の真逆性が遅滞なく認識されることは、聞き手/読み手の心を大きく揺さぶるだろう。その真逆性に内容面での真逆性も一致した時には、つまり内容面でも、当該2行が担う「2大対立因子の糾える様」(※韻律面のこれら2大対立因子はDとSである)が真逆であるとき、文脈に強烈な訴求力が生まれるだろう。例えば、船舶レースのゴール前で互いに死力を尽くす2隻の様を描写した5.230[DSDSDS]-231[SDSDDD]は、直感的に把握しやすい事例であろう。  さて、2.259[SDSDDS]-260[DSDSDD]の場合の「2大対立因子の真逆の糾える様」を以下のように推定した。 ・骨格:2.259の『内部化』と260の『外部化』の真逆性 ・詳細:ギリシア軍の有志領袖らのcorpora(身体)に関わる、 ―2.259:「静的」な『内部化』状態(隔離と待機)への「瞬間的働きかけ(解除)」 ―2.260:「動的」な『外部化』過程(脱出)での「継続的・自発的な行動」  上記の上位概念的記述は、1.586[DDSSDS]-587[SSDDDD](内容は※の下記)との対比から生まれた。それは、隔離装置からの出現が「母胎からの出産」の暗喩である共通性が1.586-587を想起させたこと。および、両対の内容が、神威の隔離装置への要員の隔離(内部化)および相手方城内聖域への隔離装置に隠れての侵入を果たした後での、「隔離の解除」および、躍動的な「被隔離者の外部への解放(外部化)」過程の進行という、上位概念での結びつきが顕著であることに由来する。(※内容:母神ウェヌスの保護雲に隔離・庇護された王アエネーアースと随員アカーテースがカルターゴーの城内の聖域で政を差配する女王ディードーの眼前に突如出現する。)  このことから、「隣接真逆主韻律対」を含むこと自体が、当該隣接箇所の内容を強調的に飾るだけでなく、離れた箇所でも「隣接真逆主韻律対」で描写される内容同士をつなぎ、両者の含意を豊かにする指標となり得ると推定する(常に成立するとは限らない)。  さらに、これら離れた内容を担う「隣接真逆主韻律対」の個別の様相に内容と呼応する主韻律上の特徴がないかを検討し、主韻律上の2大対立要素であるDとSの配列において次の可能性が示唆された。  第1脚からのD/S配列は、意味上の2大対立要素が結合している場合は、DDやSSのように互いに結合している方が、逆に、意味上の2大対立要素が互いに分離している場合は、DSやSDのように分かれている方が強調として自然であろう。ここで、D/S選択肢のある第1-4脚の4脚がDDやSSから成るのか、DSやSDからなのかが着目点となろう。  その視点からすると、2.259-260では木馬内部からのギリシア軍要員は外部化直後ゆえに、城外のギリシア軍本体とはまだ合流しておらず、分離状態である。一方、1.586-587では、保護雲内に王のアエネーアースらがいるうちに、その眼前には合流すべき離散の仲間と救援の女王がいて、早く王と会いたいと表明済みである。この内容の違いは、前者のSDSDDS-DSDSDDと後者のDDSSDS-SSDDDDとの主韻律上の違いと呼応するものであろう。 〖重要な含意と和訳〗 【重要な含意】Lucr. 1.1113の「(全宇宙の空間と原子[corpora]の量に限りがあるというなら、その場合には、)密閉空間にcorporaを閉じ込めても、外部からのcorpora補給が不足し最弱部が出口となり、外部へcorporaは全て流出し、内部世界は崩壊することになる」という内容は、A. 2.259-264での「木馬の突破口から全ての領袖ら[corpora]が飛び出すこと」、またはやがて起こる「トロイア城壁の突破口の数々から敗残のトロイア人が全て落ち延びていくこと」と示唆的に一致する。この場合のウェルギリウスの示唆は、ルクレーティウスの上位概念に賛同し、本来無限の世界の中に有限で閉じた疑似世界を作ってもやがてトロイアのように必然的崩壊を迎えるがゆえに、アエネーアースの道が未来に到達する「ローマの平和」は時空の有限性を打破し無限を目指す(1.278-279)のだ、ということであろう。  なお、Lucr. 1.1113に続く1114-1117まで比較範囲を広げると、誤った根本認識から出発した場合に起こる逆の事象をトロイアの木馬の事例に仕立てていることが分かる。「人を盲目にする『夜』でさえ、君の道を奪い摂理の奥義を見えなくすることはないだろう」の逆説的アナロジーは示唆的であり、ウェルギリウスは、出発点となる根本認識「敬神とは何か」が正しくあるべきことを訴求しているのであろう。それは、ウェルギリウスが神々-人間関係の再定義を通して、ホメーロス的敬神(正)とルクレーティウス的敬神(反)を統合する際の出発点である。 【和訳】 ※訳文の括弧書きにおいて、♪印を頭に付した語または記述は韻律に由来する意味の補足であることを示し、その背景となる動画のスライド番号を各【訳文】直後の「♪《 》」内に示している。 【2.250 「♪1,2天空」はその(祝祭の)間にも巡り、時を進める。そして「♪1,2夜」も「♪1,2オーケアーヌス」から発して急いで巡り、】 ♪1《スライド5/12⇒  2柱の神々が、最終2脚連続での従韻律の破格という、1.1から初出の表現で強調されている。この強調に関わる挿話が Il. 18.239-242にある:ヘレが、アカイア勢を救援するため、嫌がる「陽」の神(へ―リオス)を「オーケアーノスへ向けて」急がせ、日没を早めた。これは、2.250の「夜」の神が、(自発的に)「オーケアーヌスから」急いで上ったという、真逆の主体とその行動の描写によって同一上位概念(早い日没)を語る。  加えて、「オーケアノース」は世界を取り巻いて巡る流れとして諸神の祖であり、「夜」も原初の女神として子たる「眠り」が至高神の激しい怒りを買った際に、安全な逃げ込み先として選んだほどの力量を持つ[Il. 14.242-262]。  即ちこの行は、トロイアの滅亡は全世界規模の大いなる運命であり、その至高の神意に世界を地理的・時間的巡りで取り巻く原初の神々(オーケアノースとノクス[夜])も歩調を合わせ、破滅の舞台を整えることを示唆する。》 ♪2《スライド6/12》 【2.251 大いなる(♪神々の意思を担う[ディアーナの月明かりさえない])夜の闇が(♪速やかにそして密やかに)包み込む。それは(♪世界の果てから広く)、大地と天空とをであり、(ただなぜか白帆の浮かぶ海[1.224]は数え上げられていない、)】♪《スライド6/12》 【2.252 特に(生前アキッレースが率いた)ミュルミドネス族(らギリシア勢)の(アキッレースは反対したはずの恥ずべき)奸計をである。(♪一方、待ち伏せる運命に身を差し出すように)城市中のテウケルの子孫らは身を横たえ】♪《スライド7/12, 8/12》 【2.253 (♪祝祭の熱狂も過ぎて)寝静まった。熟睡が、(♪邪なる神々の授けた聖なる労働とお祝いに)疲れはてた体をとらえる。】♪《スライド7/12, 8/12》 【2.254 しかるに今や(♪静かに潜伏していた)ギリシアの軍勢は(出撃し、横陣の)密集隊形に艦隊を組んで、】♪《スライド8/12》 【2.255 テネドス島から、(♪月食によって異変を告げることもない)物言わぬディアーナの月明かりの(♪そして、その光が穏やかに映り込むネプトゥーヌスの海の)静けさも好意的である中を(♪同じテネドス島から大蛇がこれ見よがしに迫った昼間と違って、誰にも気づかれず、劇的陣容の急行軍で)航行し、】♪《スライド7/12》 【2.256 (彼らの)よく知る(トロイアの)岸辺を目指していた。(やがて見慣れた地点に達して接岸へと進んでいた)そのとき、王の船は(高い)船尾に松明を】 【2.257 (はや)掲げ終えていた。(合図は城市内の間者シノーンに直ちに確認され)そうして、(至高神のうなずきの下)神々の(ギリシア勢に肩入れする)不公平な神意によって守られつつ、】 【2.258密かに、(木馬の)母胎内に封印されていたギリシア人達を、言い換えれば、松材の(木馬の巧妙な外装と出入口で野獣どもを封じていた)】 【2.259 檻を、(♪1外から)シノーンが(出産の女神ユーノー・ルーキーナのように)解き放つ。(♪2アエネーアースとウェヌスに対抗し、トロイアを崩壊させてローマへの未来を逆説で担う息子達たる)彼ら(♪2「静か」に)隠れて待機していたギリシア人達を、出口(♪2の産道)が開いて、(♪2外光の届かない「闇」の胎内から)元の外部世界の(夜の「闇」の)中へ】♪1《スライド9/12》、♪2《首記 隣接真逆主韻律対》                                                    【2.260 (♪人心をつかむため白昼出現し威容で驚愕させた、母神たる)木馬は(♪夜陰に隠れて人目を避け)産み戻す。(ローマ人よ、後に母神ウェヌスが息子アエネーアースを返し技で産み戻すことを思い出せ。意趣返しだ。ユーノー/ディードーから主客の待遇を得んと、ローマへの未来をまさに担うべき彼を、白昼、邪魔な人目を避け、夜陰の雲で隠して王宮へ送り、通す外光で明るい保護雲の胎内から昼の「光」の中へ、ディードーの心をつかむため美丈夫の出現でこの女王を驚愕させる。)(♪さて内部の)彼らは「勇躍」(♪自ら)、樫材の(骨格で支える)空洞から現れてくる、】♪1《スライド9/12》、♪2《首記 隣接真逆主韻律対》 【2.261 (まずは、息子をアエネーアースに倒された)テッサンドルスと(アエネーアースを母神ウェヌスがディオメーデースの止めから救出した時に、彼の戦車を御した)ステネルスの領袖らが、そして(手段を選ばない)恐ろしいウリクセースが。】♪《スライド10/12》 【2.262 彼らは(♪出口より次から次と)、垂らされた一本の綱を伝い(♪整然と)滑るように降りる。さても(プリアムスの娘の妻と息子を城内から救出する)アカマースが、(接近戦に強い)トアースが、】♪《スライド9/12》 【2.263ペレウスの孫(アキッレースの子)ネオプトレムスが、そして(やがてイタリアでアエネーアースへの矢傷を治すだろう母神のように、メネラーウスへの講和破りの矢傷を手当てした神技の医術)第一人者のマカーオーンが(※神たる木馬が産む者達の列挙にも、詩人の伏線がローマ人へ「母神ウェヌスこそ常にアエネーアースとその仲間を守る」と響く)、 】 【2.264 そうして(戦争を始めた)メネラーウスが、さらには(戦争を終わらせる)奸計の木馬、その建造者エペーオスその人が。】 【2.265 (♪神々が用意した夜の闇の舞台で)彼らは粛々とぶどう酒(♪の神)の早める眠りの底に沈潜した都を襲う(手はずを進める)。】♪《スライド6/12》 【2.266 不審番の者達を切り殺し、開け放った門の数々から(♪正攻法では10年間なし得なかったが、今こそ遂に)全ての】♪《スライド12/12》 【2.267 仲間の軍勢を(♪速やかに)受け入れる。そのようにして、(♪神々の思惑どおり)軍団は共にする手はずにしたがって合流し一体となる。】♪《スライド6/12》 以上

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Recitation (Aenēis 2.235-249) and Slides_新たな神威を盲信する群衆は古よりの神威の守りに気付かず猛進する

《重要な含意と和訳》 ※「韻律なくして真実なし」https://twitter.com/quateducitvia 〈重要な含意〉難攻不落を誇ったトロイアの城壁の城門通過時に、突然木馬が停止し動かなくなったのは、例えばトロイア人の都に祭られて彼らを守護する未来を嫌がる(だからもっと木馬を大事にせよ)というような木馬側の思惑・示唆によるのではなく、ネプトゥーヌスの神業で建造されそれ以降はその建造主たる神の意志から独立して都を守護してきた神威を持つ城壁(パッラディウムとパッラス神の関係に類似)が、都を滅ぼす木馬の通過を阻止したのだと考える。なぜならば、停止と牽引の揺動で武具が大きな音を立てることは、「だからもっと木馬を大事にせよ」という趣旨とは反対に、ギリシア勢とパッラス神の奸計の暴露と阻止に直結するものだからである。 〈和訳〉  【2.235 [SSDDDD 希望に満ちた未来と勧請開始]:  (希望の未来を信じて女神の偶像を聖域へ据えようと)皆は骨の折れる仕事に向けて準備を進めている。つまり、(木馬の)足の下に数々のコロを】 【2.236 [DSSDDS 新しい守護神との友好的関係にまだ自信が持てず、その勧請の仕方が怒りを呼ばないかと、恐る恐る始める]:  滑らかに動けるように置き、(新たな偶像の怒りを不測の何かが買うかもしれないと、恐る恐るぎこちなく、木馬の自由を奪う)数々の、麻綱を、首に、かけて、】 【2.237 [SSSSDS (Smax 平穏な移動の後の、静的な対峙と宣戦布告) ]:  (粛々と城壁の門へ)引いて行く。(そうして城門に至り、)巨大な仕掛けが、(これまでもユッピテルの神意を担い、我らトロイア人の守護神として)運命の(帰すうを決めきてきた)城壁(に対峙し、新たな守護神として威嚇と宣戦布告をするように、それ)より上に、(一方、見る者たちには畏怖の念を与えずにはおかない様で)高くそびえる、】 【2.238 (実は)武装した兵士を秘蔵してその腹を膨らませつつ。その周りでは、少年らと結婚前の少女らが】 【2.239 (都の祝祭気分を象徴するように)その神々しさをたたえる歌を歌い、その綱に手で触れ神につながることを喜んでいる。】 【2.240 [DDDSDS 新しい神格が旧来の神格を置き換えることによる、これまでのトロイア守護秩序の崩壊]: (祝祭気分の中で、今や)その巨大な仕掛けは(城門を過ぎて)上へと(坂道にもかかわらず神の力が働いているかのように速やかに)向かう。そして、都の(神殿と王宮のある)中央部へ滑るように入り込み、(トロイアの新たな畏怖すべき守護神の勧請を祝い、旧来の守護神を捨てた我らを)見下ろすようにそびえ立つ。】 【2.241 おー祖国よ、おー神々の(加護の)御座所たる、イーリウムよ、言い換えれば、戦争で、(その神技による難攻不落が、)良く知られていた、】 【2.242 [DDDSDS 新規な守護神の皮をまとった破壊神が旧来の守護神の防衛を突破することによるトロイア存続秩序の崩壊(=滅亡)]: ダルダヌスの子孫の(守護神であった、かつての)城壁よ!(それゆえに、所詮むなしくとも、あのとき城壁は、それに切れ目を入れてしまったのはトロイア人であったにもかかわらず、そのトロイアを滅亡から救おうとしたのだろう。)城門の、まさにその境界線にて、4度、(新たな守護神の皮をまとった破壊神たる)巨大な仕掛けは、】 【2.243 [DDDDDD (Dmax 動的な合戦) 旧来の守護神たる城壁が新たな守護神たらんとする木馬に仕掛ける防衛の戦い]: (我らの牽引にもかかわらず、城壁の最後の守護の力で、僅かに進んでは)動きを止めた。さらには、(これも城門が木馬に仕掛けたのだろう、)その4度(の牽引の揺動で、今にして思えば、)その腹の中の兵士らの武具が大きな音を立てていたのだ(我らが事の真実に気付くようにと)。】 【2.244 [SDDSDD新しい守護神との友好的関係に自信を持ち、勧請の中断が怒りを呼ぶことを恐れて邁進する]: 我らはしかし、(新たな守護神は、我らの都へ入場し勧請される前に、我らの敬神にその価値があるのか見極めようと試練を授けているのではと思い、ここで諦めたら好意を失いむしろ怒りを買うだろうと恐れて、)なんとしてもやり遂げようと(首の牽引にもかかわらず城門まで平穏に移動したことを思い、木馬との友好的関係を信じて、首からの引綱になお一層の)力を込める、熱狂から盲目状態となり何(の予兆)も心にとどまらないがゆえに。】 【2.245 [SSSSDD 絶望の待つ未来と勧請終了]: そして(絶望の未来を確実にするにもかかわらず)不幸をもたらす恐るべき怪物を、都の聖別された頂上に停止させ据える。】 【2.246 そのときもう一度(しかしむなしく)、(トロイア滅亡の)未来へのユッピテルの神意を備えたそれらを、カッサンドラは明らかにする、】 【2.247 (つまり予言の)言葉の数々を。(これまでトロイアを守護してきたポエブス)神の(カッサンドラ個人への相互授受的逆恨みに発する)テウケルの子孫らへの命令ゆえに、決して、(我ら子孫にとって)、真実として聞き入れられることのない、(彼女の)それらを。】 【2.248 (その結果、)我々は、神々の神殿の数々を、(今になって思えば)哀れなことに、それというのも我々にとってあの日は最後のそして最悪となるべき日だったからだが、】 【2.249 我らは葉で作った祝祭の冠で、それらを飾り立てるのだ、(それも)都中で。】 《内容と韻律形式の一致》 1) 2.235-245には、241から折り返す前半と後半の間に概ね「その最中」と「今となって」という対照的視点があり、それらのキアスムス的配置関係の4行同士が内容および主韻律のしかるべき関係で呼応する 1-1) 2.235と245の内容および主韻律の「要素真逆の起結」の関係 235 SSDDDD「起」:「その最中は意味も分からず」。「希望」の未来へ労苦を「開始」 245 SSSSDD「要素真逆の結」:「今になって知る」。「絶望」の未来へ労苦が「終了」 1-2) 2.236と244の内容および主韻律の真逆性 236 DSSDDS:「①その最中は意味も分からず」。「②これからの希望の守護神」と信じた木馬の「➂友好的態度(首綱と牽引を拒否し暴れないこと)」による「④滑らで順調な進行」の下で、「⑤初めこそ新しい偶像の不測の怒りに恐恐としていたものだったが」、城内の安置聖所への牽引に励むトロイア人 244 SDDSDD:「①今になって知る」。「②これまでの守護神」たる城門の、トロイアを守ろうとする「➂妨害行為」による木馬の「④停止」とその内部からの武器音の予兆に対して、「⑤木馬との友好的関係に自信をもって、一層の狂乱と無視で」城内への牽引に励むトロイア人 1-3) 2.237と243の内容および主韻律の真逆性―主韻律はSmaxとDmaxの両極間の真逆 237 SSSSDS「①その最中は意味も分からず」。{②:木馬を「新しい」希望の守護神と信じて、「長時間」・「粛々[S的]」と牽引して(城門へ向けて)移動させて行き」、そして「(城門に達して)新しい守護神として、高さで旧来の守護神たる城壁をしのぎ、見る人を「畏怖[S的]」させずにはおかない威圧感で、城壁に宣戦布告するように対峙する}様 ※fātālis māchinaとfatalisをf.-sg.-nom.としてmachinaにかけても、237では木馬が主体として城壁に挑み、一方243ではそれを受けた城壁が主体として木馬に反撃する構図が成立し、内容と韻律形式が一致する。  しかし、「城壁」が守護神としての神格と神威を持つという概念そのものが「sandit fātālis māchina mūrōs=運命の機械(木馬)が城壁を登る」と解釈したのでは顕在化せず、243が(例えば門の敷居の出っ張りに突っかかって急停止し、内蔵した兵士の武具が音を立てたというような)単なる物理現象の描写となりかねない。  「城壁」が守護神としての神格と神威を持つという概念の顕在化のためには、fātālīs mūrōsとfatalisをm.-pl.-acc.としてmurosにかけることが必要だろう。 243 DDDDDD「①今になって知る」。{②:「旧来」の守護神たる城門が新たな守護神(実は破壊神)たらんとする木馬へ仕掛ける防衛の戦い。「(これを最後と懸命な)戦い[D的]」、「突然の(4度もの急)停止[D的]」、「木馬の内部から4度大きく響かせた武具の音=高らかな警告音[D的] 」 1-4) 2.240と242の内容および主韻律の「秩序崩壊」の同一性―「DDDSDS」は「SSSDDD」の真逆として均衡や秩序の崩壊 240 DDDSDS「①その最中は意味も分からず」。{②:「これから」の希望の神威と信じた木馬が(坂道にもかかわらず、あたかも自分の力で歩んで進み行くように、速やかに)城門を通過し都の中央部・中枢部に到着して、「新たな守護神として、これまでの守護神秩序を壊しつつ、都の支配権を掌握」したかのようにそびえ立つ}。 242DDDSDS「今になって知る」。{②「これから」の希望の守護神とされた木馬が城門を通過したら「トロイアは滅亡する」がゆえに、「これまで」の守護神たる城門が、むなしくも、トロイアを守る城壁の最後の力を発揮して木馬を4度止めた}。 同じ状況が、親「木馬」の最中の立場からは、旧守護神による秩序から新守護神による秩序への転換という意味の「これまでの秩序の崩壊」を意味し、反「木馬」の今となっての立場からは、トロイア王国そのものの滅亡という意味の「これまでの秩序の崩壊」を意味する。 1-5) 2.247と248の主韻律が真逆である意味―原因と結果の対照性に真逆主韻律が呼応する 248 DSSSDS「結果」:トロイアが滅び、カッサンドラの「予言・警告」が正しかったと知る今となってみれば、その時のトロイア人の神々への行動が「哀れ」なものに思える。 247 SDDDDD「原因」:上記248「結果」に対する「原因」   ※カッサンドラの本来正しい「この木馬によってトロイアは滅びるという予言・警告」を信じなかった。 2) 2.236、241、242および247で、第3脚のdiaeresis(一致分節)が主韻律を前後に2等分する禁じ手を採用し、また第4脚と第5脚後にも一致文節があり全体でそれが3連続している。ここでは2.236の場合を以下に取り上げる。 2.236の場合:  ① 韻律面ではMarxの法則だけでなく、主・従韻律にも前半と後半の分割構造がある。前半「DSS|PPP」と後半「DDS|AAA」の間にある「要素真逆のキアスムス」。 ② 内容面では、 ・前半:(新しい守護神と期待する)木馬の、足下(最も非神聖な部位)へ、コロを敷いて、(神たる木馬に揺動を与えず)滑らかに移動させる。 ・後半:神たる木馬の、首(神聖な部位)へ、綱をかけて(vinculumは拘束も意味する)、(都の城門へ)牽引する(綱が締まって首を絞める)。  神たる木馬を取り扱うにおいて、初対面ゆえに何に喜怒するのか予見できず、緊張が強いられる。後半の緊張は前半よりはるかに強い。 まさに、後半では神が突然怒らないかとビクビクしながら「不器用」に、作業を進めたのだと考える。その様を、詩人は「不器用」な響きを与える「一致文節の3連続」で表現したと理解。 ※主・従韻律の「要素真逆のキアスムス」と内容の一致を以下に示す。 ・キアスムスの含意:出来事の「起」と「結」の対比。 ・要素真逆の含意:出来事の要素が真逆。 前半[起]:木馬に「快適」な移動を与えるコロを「非神聖な」足下に置いて、「移動に備える」。 後半[結]:木馬に「不快な拘束」を与える綱を「神聖な」首にかけて牽引し、「移動を実施する」。 以上

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Recitation (Aenēis 2.220-234) and Slides_人間に残酷なのは神々か自然の摂理か、それとも仲間か

《重要な含意と和訳》 〈重要な含意〉死に際し天へ向ける思いの内容と韻律の相互参照が細部を照らす:ラーオコオーン、ルクレーティウスの原初の人間、ディードー、アエネーアース。 〈和訳〉  【2.220 彼の者は、一方では、(生き延びようと)結び目(のように左右から交差する2匹の胴体)を両手で引きはがそうともがいている。(やがてそれは緩むのだが、)】 【2.221 しかしその時すでに、(致命的な)黒い毒液と(それで)腐った血が敬神の鉢巻を染めていたのだった。】 【2.222 (それゆえに結び目が緩んだ後も)他方では、(もはや自分は死ぬとの思いから)、恐ろしい叫び声の数々を(激しい苦痛ゆえに言葉を紡げず、言葉を持たぬ原初の人間のように、ただ瀕死の叫び声の数々のみを)、天(の神々)に向けて(死が来るまで)上げている。】 【2.223 それは、生けにえの祭壇から(致命的)傷を負った雄牛が(追手を)逃れて(苦痛の中で死ぬまで)発する(長く尾をひく)鳴き声の数々のよう。】 【2.224 (言い足すならば、そもそも)斧(の一撃)が即死を与えず急所を外したがゆえに雄牛はそれを首から振り落とし(かろうじて)逃げ出したのだった。】 【2.225 しかるに(彼の者が長い苦しみの果てに死ぬように毒牙にかけ、苦しむ彼を後にした)対なす大蛇らは、(長い体をくねらせて)滑るように(都の)頂上の聖域へ向かって】 【2.226逃げるように去っていく。そして(呆然としていたトロイア人らを我に返らせ、あたかもその神が送り込んだのだと見せつけるように)トリートーン生まれの(不敬神に)苛酷な女神パッラス・ミネルウァの牙城へ向かう。】 【2.227 そうして(これはミネルウァの神意なのだぞと)女神の足元で、つまり丸い盾の下で姿をくらます。】 【2.228そのとき、まっこと、(我ら皆の)全体へ、(既に眼前の惨劇に)震えた(我らの)胸の隅々へ、新たな(目に見える野獣の単純な脅威とは違って、因果も限度も不明瞭な)】 【2.229 恐怖がじわじわと入り込んでくる。すなわち、(女神の怒りによって)、悪行にふさわしい罰を受けたのだ、】 【2.230 ラーオコオーンは、と我らは言い合う。実際、(我々をたきつけた)彼は、槍で、オーク材の神聖なそれを】 【2.231 (見せつけるように真っ先に)傷付けてしまったのだから、そうとも、(その)胴体へ罪深くも投げ槍を投げつけてしまったのだからね。】 【2.232 (その因果を確信した群衆は、一度はラーオコオーンに賛同し共に木馬を破壊しようとした我が身へも、ひょっとして女神の怒りが降りかかるかと恐れる。そして今度は、)(女神の)偶像を神域へ導くべきだろう、そして女神に嘆願すべきだろう】 【2.233 その神威(による加護)を、と我らは(しばし)叫び合う。(あ〜、なんという群集心理であろう。もはや誰も止める者もなく我らは突き進んだのだった)】 【2.234 (女神の好意を期待する)我らは、(城門を開け、その上部の石組みも取り払って)城壁を(そこで)左右に)切り離す。つまり、(これまで、敵の攻撃ではびくともしなかった、その)都の壁を、(自分自身で嬉々として、)開け放つ。】 【補遺:死に際し天へ向ける思いの相互参照が細部を照らす】 1. 「ラーオコオーン」と「ルクレーティウスの原初の人間」:野獣の襲撃による死 (1) Lucr. 5.988-1010に、原初の人間の悲惨事例として野獣による死がある。生きたまま肉を食われていく場合と、手負いながら逃げ延びて後に激しい苦痛とともに死ぬ場合が例示されている。『アエネーイス』第2巻との関係において、前者は丸飲みにされたラーオコオーンの子供ら(A. 2.213-215)に、後者はラーオコオーン(A. 2.215-224)相当するであろう。  Lucr. 5.994-998における「野獣の襲撃を受け、致命的重傷を負いつつも辛くも逃げおおせた原初の人間が、長い苦しみによる叫びの数々の果てに死ぬ」というモチーフは、A.2.220-224におけるモチーフと骨格を共有し、しかも韻律をも共有する。このことから、A.2.220-224の重要な細部をLucr. 5.994-998が補強するとことを示唆すると考えた。 (下記の※1~3参照) ※1 共有される骨格:「野獣の襲撃」、「致命的しかし即死しない負傷」、「叫び声」 ※2 重要な細部:「被害者が死を迎える前に、野獣と被害者は十分に離れている」、「被害者は助けも治療手段もないまま、激しい苦痛の中で一人孤独に叫び声を上げながら、一声毎に死に近付いていく」 ※3 主韻律の共有(A.2.220-224の5行中の3行と、Lucr.5.994-998の5行中の4行との間の共有): 1) A. 2.221 = Lucr. 5.994 = SDSSDS *A.: 毒液による致命的しかし即死しない負傷, Lucr.: 致命傷を負っての逃げ切り 2) A. 2.222 = Lucr. 5.996, 998 = SDSSDD *A.: 叫び声の数々; Lucr.(996): 叫び声の数々, Lucr.(998): 助けもなく手当も知らない 3) A. 2.224 = Lucr. 5.997 = DSSSDD *A.: 致命的しかし即死しない負傷, Lucr.: 死が訪れるまで続く激しい苦痛 (2) 単に皆が怪物襲来の恐怖に痺れている間に即死して考える暇もなかったという状況ではなく、激しい苦痛の叫び声の数々を聞いているうちに既に我に返ったであろう仲間達が注視する中で、助けに走る者もなく孤独に苦しんで死んでいくという、神官たるラーオコオーン(しかも敬神の祭儀を主宰していたその最中)の様は、作品主題に向けて読者の心を揺り動かすだろう。  神々の下の人間とは何なのか、敬神とは何なのかという問いが、単独行動を旨とし神々を知らない原初の人間が孤独に苦痛の中死ぬ様との対比を通して、自然と読者(ローマ人)に湧いてくるように感じられる。これは、無神論的地点まで伝統から離れてこそ指摘できる「伝統的敬神の問題点」を読者(ローマ人)に意識させようという詩人の意図に思われる。 2. 「ラーオコオーン」と「ディードー」:死に向かいつつも長引く苦しみ  第2巻の記憶を持つ読者者が第4巻の最後に至ったとき、『激しい苦痛の中で死に近付いていく』という類似の状況(ディードーの自死の最後)を見出すことになる。  さて内容の上位水準において、第2巻の状況では、2.220「肉体及び魂の死への抵抗」と2.222「死へ向かう」の間に内容面での起結関係と、それに呼応する起「DDSSDS」→結「SDSSDD」の主韻律のキアスムス関係があった。第4巻の状況でも、4.94「肉体の死への抵抗」と4.705「死へ向かう」の間に内容面での起結関係と、それに呼応する起「DDSSDS」→結「SDSSDD」の主韻律のキアスムス関係がある。内容の類似性が同一の主韻律対のキアスムス関係に担われ、上位水準での類似性が強調される。  しかし具体的水準では、ディードーは一人ではなく妹アンナが看取り、女神ユーノーが長い苦しみを哀れんで使者を送り、その復讐の遺言は(恐らくユーノーを通じて)民族に受け継がれるのであって、孤独死のラーオコオーンとは対照的な状況がある。  この具体的水準における内容の対照性は主韻律面でも、神々と人間をつなぐ心のベクトルに着目すると明らかになる。すなわち、まず内容面で、第2巻のラーオコオーンでは(恐らく、死の神罰を素直には受け止められない心情を反映した)「人間から天上へ(ad sīdera: 神々へ)」の向きであり、一方の第4巻のディードーでは、人間を哀れむ心情※からの「神々から人間へ」の向きという180°の反対向きである(※ 4.694 (長い苦痛を伴う)死にきれない様(への哀れみ)からイーリスをオリュンプスから派遣した)。次に、主韻律面でも、2.222「SDSSDD」と4.694「 DDSSDS」の間には180°の反対向きの関係(キアスムス関係)が認められるのである。    さて、この具体的水準で対照的な「神々-人間」関係の提示は、一見、ユーノーとディードーの関係に代表される、伝統的な相互授受に立脚する契約的敬神こそが有神論の理想的姿だと肯定的に主張するかのようだ。しかしこれは、単に、「神々への懐疑・批判・否定」を否定するための「ユーノー-ディードー関係」の提示ではなく、第2巻の「無神論視点からの伝統的敬神の問題点」を踏まえたうえで、さらに「ユーノー-ディードー関係」をも超克する、すなわち、ローマ人にとってはトロイア戦争という神話ではなく、ディードーの遺言たる『ポエニ戦争』という「神話+自身の歴史」の省察に立脚して、「人類史上初めての事態である、広い世界の『ローマの平和』をこれから担うべき、相互授受の伝統的敬神でもなく無神論でもない、新たな敬神のあり様」への自問自答を読者(ローマ人)に促す詩人の意図であろうと考える。 3. 「ラーオコオーン」と「アエネーアース」:アエネーアースに野獣の如き暴風どもが必死を突きつけた 1) 大蛇とラーオコオーンの場合では、2.220と222の主韻律がキアスムス対をなす 2) 暴風どもとアエネーアースの場合では、1.91と93の主韻律のなすキアスムス対が上記と逆向きである 3) 死に至る受傷の2.223と1.92の主韻律が同一である 1) 2.220と222:「DDSSDSとSDSSDDの『起結』」であり同時に「真逆への方向転換」が起こっている。ラーオコオーンの気持が、「初期」の「死への抵抗」から、「最期」の「死が避けられないことの自覚」の絶叫へ方向転換している。 2) [1.91と93]と[2.220と222]:  まず、1.91と93での「SDSSDDとDDSSDS」のキアスムス対は起句の、野獣のような暴風どもによる、「アエネーアース艦隊全員への即刻同時即死の通告」に対する結句「アエネーアースが、天上の神々(主として過去の戦場で彼を助けたウェヌス)へ向けて、(抗議の気持ちから)手を差し伸べる様」の起結関係にある。  ここにおいて、[2.220と222]では「(こんな死はおかしいの)抵抗」→「死が避けられないことの自覚」という流れであるのに対して、一方の[1.91と93]では、「死が避けられないことの自覚」→「(こんな死はおかしいの)抵抗 [として、次行からの抗議の声の描写がある]」という逆向きの起結関係となっている。すなわち、内容と韻律形式の一致がここにある。 3) 2.223は犠牲獣への「致命的だが即死はもたらさない」打撃であり、1.92は暴風どもの襲来と必死の状況に直面したアエネーアースの「即死」の様であるため、一見、類似だが同一ではない内容のように思われる。しかし、アエネーアースは1.93以降も生き延びているがゆえに、1.92の「即死」とは2.223のように、そのまま助けもなく放置されれば「致命的だが即死はもたらさない」打撃を受けたのだと解釈できる。実際、両行の主韻律の同一性はこのことを支持する。  アエネーアースの場合は、肉体はまだ打撃を受けていないがゆえに、かれの敬神の精神が「致命的だが即死はもたらさない」打撃を受けたと推定する。なぜこのような形で死ななければならないのか、それが神々の正義であろうか?という懐疑である。  したがって、2.223のようだと叙述される2.222のラーオコオーンの神々へ向けた絶叫にも、上記のような「懐疑」があったと推定される。  集団と個人の信頼関係においては、アエネーアースとその一行は漂泊の試練の過程で、トロイア落城時のプリアムスとその民の群集的あり様と比較して、前進している。 以上

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